ラベル 政治 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 政治 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年2月23日火曜日

東亜政治記

維新の党と民主党が合流決定らしいですね。
こうなってくると、参議院選挙どこに投票しようかなぁ、ってなりますなぁ。
この前の衆議院選挙も、結局だれにも投票したくない、という贅沢な悩みにぶち当たりましたよ。
そのとき、香港では普通選挙を守れって民主主義を守れって叫んでて、なんだかなぁ、って香港人と話した記憶がありますね。

投票に値する人間が立候補してないって、すごくシュールだなって思うんですよね。
北朝鮮の投票率は100パーセントで信任されているそうですが、日本では投票率の低下が問題となってますね。

自民党も公明党も民主党も維新の党も緑の党も幸福実現党も共産党も社民党も、公約読んだし、立候補者確認したけど、なんなんだ。って言うレベル。
投票してもらうためには大衆の賛同が必要で、大衆のウケを狙った事を掲げて演説なりしてさ。
組織票がある人たちは、なんか適当にやれば当選するって知ってるから、これといった事言ってないし、やってない。

無所属で当選したところで、やれることなんて短い質疑応答の時間でインパクトある質問するとか、天皇陛下に直訴状渡すとか、議論ではない次元での活動をせざるを得ない。
一生懸命質問したところで、ノラリクラリ。
大臣の言質取ったところで、二年後には別の大臣になってることで、そんなものに何の意味もなさない。

いつもスクープは週刊誌から始まってさ、国会議員同士でトンデモナイすっぱ抜きあいなんてしないし、なれ合いのプロレスみたいなもんで、そういうショーに大衆は飽き飽き。

アメリカの大統領選は、アメリカ人のお祭り好きという性質もあってか、大騒ぎするけど、日本と対照的過ぎる。

民主主義の最悪の形なんじゃないだろうか。
こういう時に、威勢の良いことを歯切れ良く言う人が出てくると、ウケる。
維新の始まりもそんな感じだったもんね。
アドルフ・ヒトラーも、そんな感じだったもんな。

台湾の政治活動も非常に躍起だよなぁ。
中国人の方が民主主義を理解しているのかもしれない。
それは、清朝が辛亥革命で民衆に打倒されたからか。
日本は武家の連中が錦の御旗取り出して起こした反乱であって、民衆が起こした反乱ではない。
民主主義は、民衆が命を張って得た権利というものがあってこそ、活きるのではないだろうか。

2016年2月21日日曜日

社会人という言葉を考えてみる

社会人。
会社人ではなく、社会人。

大学を卒業して就職すると、社会人1年目とかいう称号になる。
バイトしてようが、大学生は社会人ではないようだ。
どうやら、大学生は社会人ではないようだ。

言葉から考えるに、社会に属している人だ。
社会に属していない人なんているのだろうか?
日本人の親がいれば、日本人になってしまう法制度の日本国において、社会に属していないという状況は、とてもじゃないか思いつかない。

働いていない人は社会人なのだろうか?
どう考えても、社会人だろう。
NHKが集金に来るだろうし、年金も、住民税も、色々と社会に属したくなかろうが、社会に属している。

しかし、社会人とはそういう事を言っているのではなさそうだ。
おそらく、ふわっとした概念の言葉で、厳格な定義とか求めていない。

中学卒業して、社会人。
高校卒業して、社会人。
大学卒業して、社会人。
などの使われ方を見ると、どうやら社会で働いている人を言うのだろう。

さて、自営業で親の会社の手伝いをしている青年は社会人なのだろうか?
そうしてみると、専業主婦は社会人なのか?
隠居した老人は社会人だろうか。
彼らとて、社会人ではあるが、何せ言葉の定義が曖昧だから、よくわからない。

だったら、逆の発想をもって考えてみたらどうだ。
社会の反対。
反社会。
反社会勢力という言葉を最近よく見かける。
おそらく、その構成員は反社会人になるのだろう。
しかし、彼らも社会に属している。

どうして私がこんなに困っているかと言うと、社会人という言葉の英単語が見つからなくて、「社会人」という概念は日本文化のモノであると感じたと同時に、その概念の不明瞭な意味に戸惑っているからだ。
社会人。
社会を構成している人と、した場合、Citizen(市民)が妥当な言葉かもしれない。
だが、「大学卒業して市民になるんだ。」なんて、言う人はいない。
だって、大学生も市民だもの。

そう考えると、社会人という言葉は複数の定義を持つと考えるのが妥当なのかもしれない。
ひとつは、社会を構成し、社会に属す人のこと。
もうひとつは、労働者。

なんか、しっくりこないなぁ。
だったら、社会主義・共産主義の社会なんじゃねーの?
って考えてみましょう。
社会主義者って意味じゃないよ。
社会とはなんですか?って事よ。

社会とは、英語で言うソサエティー。
ソサエティーって、二つ意味があって、一般社会という意味もあれば、お友達会とか上流社会とかの意味がある。
ギルドのような、とある集団って意味。
そういう家族ではない集団に属している人、社会人。
って事なのか?

まー、どーでもいいや。

2016年2月18日木曜日

アメリカ合衆国とアップルコンピューター

アップルが書簡を発表しましたね。
アメリカの企業なら当たり前のことですし、アメリカ人なら当然の選択だと思います。
そう思ってしまった、私は大分アメリカに感化されてしまったようで、これから日本で生活する際に色々とカウンターカルチャーショックを経験するのだと思います。

アップルは、民主主義のために、アメリカ合衆国のFBIの要求をお断りすると言いました。
これは一体どういうことなのか。
視点を変えれば非常に明快単純なんです。
私も、今後忘れないようにここに書いておこうと思います。

社会の時間に、憲法は国の最高法規と文言を習いました。
これは暗記してテストに備えるというもので、よくよく理解しておりませんでした。
刑法とか民法より上の法律だって事らしいんですが、意味が不明ですね。

憲法とは何か。
アメリカの憲法と歴史的背景を考えると、簡単にわかります。
その昔、イギリスの植民地支配が嫌な人たちが団結しました。
その時に、団体のルールを決めました。
Constitutionというものですね。
この団体というのが、アメリカ合衆国であり、ルールというのが憲法です。
イギリスでは、Constitutionというより、長い歴史の中で作られた一部の重要な法律が憲法扱いを受けるという点で、何所の国も違う法制度を持っている事を目の当たりにします。

アメリカにおいて、アメリカの団体としてのルールに従う。
アメリカ人は、このルールを尊重し、従う。
政府も、このルールに則り法律を制定し、施行する。
企業も、このルールに従う。
例え、アメリカ合衆国政府の要求を突っぱねる事になっても、このルールに従う。

アメリカ合衆国憲法前文:We the People of the United States, in Order to form a more perfect Union, establish Justice, insure domestic Tranquility, provide for the common defence, promote the general Welfare, and secure the Blessings of Liberty to ourselves and our Posterity, do ordain and establish this Constitution for the United States of America.

拙訳:我々アメリカ合衆国の人間は、より完璧な連合を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を確実にし、共同の防衛を提供し、一般福祉を増強し、そして我々と我々の子孫の自由の恩恵を確保する目的をして、ここにアメリカ合衆国ののためにこの憲法を制定し、確定する。

こんなハッキリとした前文があるものだから、明快すぎる。

FBIのアップルへの要求はiPhoneに、バックドアという誰でもアクセスできる裏口をひっそりと作ってくれというものだった。
アップルは、それは出来ないと言った。
理由は、技術的観点から言って、リスクが大きいという事。
そして、アメリカの憲法に反しているという事だった。

日本の憲法は公共の福祉に反しない限りの自由を認めていて、アメリカのそれとは異なる。
アメリカは、公共の福祉という名目で悪がはびこるという考えを持っているように私には見受けられる。
例を挙げるならば、ベトナム戦争だ。
世界の自由と民主主義のためという名目で戦争を始め、実際はそうではなかったと思った民衆は戦争に反対した。

それだけ、個人個人の権利というものを重要視している国だと言うことだ。

2016年2月17日水曜日

学者に二種あり

先日ね、私の一番弟子と久しぶりに会ったのよ。
彼とはかれこれ5年のつきあいになるね。
たったの5年だけど、今後の彼の飛躍を考えると、頼もしい気持ちで一杯だよ。
私なんかより、断然出来が良い。
名選手、名監督にあらずと言うけど、名監督、名選手にあらずでもある。
私は失敗ばかりして失敗から色々学んだけど、しなくてもいい失敗ってのもある。
それをよく聞いて、理解して、避けて進んでくれるってのは、ありがたい限りだよ。

彼もまだ23とかだから、若者らしく人生なにをしたらいいか分からない、まだそんな年頃で。
色々と経験をしているけど、芯となるモノが欠けている感じ。
本人もそれを分かっていて焦っているんだけど、焦る必要も無いけどなぁ、と横目で見ながら思っていた。
若気の至りってそんなもんだ。

日米のベンチャー企業の違いを彼から聞いた。
また、私自身、思ったことを綴っていこうと思う。
この記事は思索の途中の雑記になる。
読者諸君も同じく思索して欲しい。

アメリカ政府主導でベンチャー企業を推進するプログラムがある。
SBAと呼ばれる部署で、各省庁から金を引っぱってきては、ベンチャーに投資をしている。
この投資先というのが、主に大学出の博士号を持っている人たち。
工学系は勿論のこと、社会学、心理学、教育学など様々な分野にわたり、その分野の特許などを保持している人たちが中心となって、事業を興す。

日本も、アメリカほど活発ではないが、似たようなシステムがある。
学者風情が商いに手を出して、成功するはずがないという風潮があるような気もする。
たしかに、アメリカのトロフィースクールと呼ばれるトップ大学のビジネススクールの生徒は生き馬の目を抜く様な眼をしていて、いかにも、という雰囲気を出していた。
そんな世界に、好奇心旺盛の眼をした学者が入っていったら、眼を抜かれてしまうのも、わからないでもない。

ベンチャーというと、フェイスブックを思い浮かべる人が今のご時世多いだろう。
ウェブサービスを提供する会社だ。
昨今のITベンチャーブームは、特許保持者が始めるより、アイディア
保持者が具現化している所がある。
特許もアイディアなんだが、日本の場合社会科学での博士に金を出している連中はアメリカと比べて少ない。

また、工学系の博士は、そのまま日本のメーカーへと流れていく。
ここが、アメリカと日本の大きな違いではないだろうか。
現在のソフトウェア全盛の時代の少し前、ハードウェアの時代を振り返ってみる。
そうすると、アメリカのフェアチャイルドやらインテルやらのシリコンバレーのスタートアップをしていた時代に、日本ではメーカーが社内の研究所で開発を進めていた。

アメリカで研究開発をしていたのは博士号所持者だったが、日本のメーカーで研究開発をしていたのは博士号所持者ではない。
ここが、一つの大きなミソだ。

批判的思考とは何か、という拙著の記事を思い出してもらいたい。
日本の大学では全く問題にされていない課題であり、さらに日本の大学出の人たちが就職するために受ける試験でも、問題にされてはいない。
彼らが課題として課されるのは、決められた事を与えられた時間内で素早く正確に答えることであり、答えのない問題を考え続けることではない。

答えのない問題を考え続けること。
実はこれ、アメリカでは、大学で教えられるんです。
そして、アメリカでは、答えのない問題を考え続けることは、一部の学者のような知的な人たちだけがやってるんです。
何故なら、彼ら学者は、そう訓練されたからです。
それ以外の人たちは、そんな事しないのです。

研究開発に答えはありませんから、答えを見つけ出さないといけません。
そんなの、実は、みんな出来るはずなんですよ。
実際にやってきたのが、日本ではないでしょうか。
だから、博士なんか取って学者なんかにならなくても、研究開発の仕事が出来るようになる。
そして、批判的思考なんかも、導入する必要がなかった。

日本では、学者とは、ただの物知りです。
彼らが独自の論点を主張するのをあまり見たことがありません。
主任やら先輩やら恩師やら孔子やらが言ったことを暗記して、必要に応じて思い出す人たちです。
クイズ番組に出てくるインテリさんたちもそうでしょう。

いや、もちろん、立派な学者さんも日本にはいますよ。
理化学研究所とかに。
だけど、私は、日本にいる物知りなだけの学者というのが、アメリカにいるのか、と思ったんですよ。
アメリカという国の教育を見る限り、物知りを作る事に重点を置いていない。
また、日本という国の教育を見る限り、独自の論点や主張という事に重点を置いていない。

独自の論点や主張がなく、過去の繰り返しでは、イノベーションは出てこない。
温故知新とは、新しい気づきだが、その新しい気づきの芽を伸ばしてこそのイノベーションだ。
答えのない問題を考えるにあたって、知識量が多い方が良いとは思うが、ただの物知りになっては駄目なのだろう。

2016年2月16日火曜日

ある日のシアトル

闇雲に歩くと今年一番の冬のにおいを感じた。
ワシントン大学からブロードウェーまでは坂道をのぼる。
高速の入り口があって、交通量が結構おおい。
その坂をのぼって、消防署の前を通り、公園の横を通り過ぎる。
この公園はアメリカに来たばかりの頃、タバコをサウジアラビア人からもらってチェーンスモーキングをして、ヤニクラでゆっくりしていった公園であった。
この公園でゆっくりした後、ホームステイ先まで歩いて帰ったのを思い出した。
本当に苦しかった。
そして少し歩くと、豪邸みたいな屋敷の横を歩き、教会を複数ぬけ、見晴らしの良いところを抜けて、まだまだ続く緩やかな坂を歩いていき、ようやくブロードウェーにたどり着くのだ。
ブロードウェーの始まりはカフェ、映画館、日本食、銀行で始まり、タイ料理タバコ屋ギリシャ料理云々。

再開発で大分変わってしまったなぁ。

前から歩いてくる、眼鏡をかけたひげを生やした白人の如何にも中産階級という労働者はタバコを旨そうにのんでいた、
学生街とは違い、ここではタバコは普通のものに感じられる。
スーパーの前で小銭を求められても、困りますよ。
いぬかわええなぁ。
新聞はいりません。
おっ、ベトナム人の集団だ。
ディックスハンバーガーでゲイのカップルの口論。
黒人のおじさんがホームレスに好きなだけ食えって言ってハンバーガーをおごってた。

大学で用事をすませて、外にでる。
チェーンスモーキングをした広場でゆっくりしていこうと思ったら、オキュパイシアトル、っていうね。
相変わらず極左な大学だなぁ、としみじみ。
ピザを食ってると99%の人がいた。
俺はどっちなんだろう。
ピザ食べるかい?と誘われても、困りますよ。
すこし話すと、別に悪い人でもない。
お金持ちが全てを奪うのはおかしい!って。

話してるとバスが通り過ぎた。
なるほどね。こういう時はあるもんだ。
歩いて家に帰った。

2016年2月15日月曜日

人類学アレコレ

人類学の大前提は人に変わりなしという、平等主義にもとれる発想だ。 
私と彼は違う。 
一緒にするなと個性を追い求めてる人は言うかもしれないが、やはり大して変わらない。 

先日、田園調布に自転車で行ってきた。 
東京の高級住宅街に古墳があるというからおもしろいものだ。 
古墳の横には小さな博物館があるという、是非とも見に行きたいと思い、自転車で多摩川の土手を走りカメラを持って行った。 
自転車のチェーンの鍵を忘れるという失態を犯したものの、博物館の玄関の前に自転車を置き、受付の人に頼んで、監視してもらった。 

小さな博物館だった。 
博物館の中には、関東圏の古墳から発掘された物を展示してあった。 
武器に装身具、当時の生活形態、そして埴輪。(土偶じゃないよ) 

多摩川の下流域にあたる、このあたりは、多摩川の潤沢な水資源と、肥沃な大地があり、5世紀頃には上野毛国という大きな集落があったと、日本書紀には記されている。 
関東圏には他にも国があり、勢力抗争は絶たなかった、という。 
傲慢な王に反対する勢力が大和朝廷に泣きつき、連合軍として王を追い出し、関東圏は大和朝廷の支配下に入ったと日本書紀には記されているそうな。 

史記には様々な人間が登場してくる。 
その多くは王国の王様であったり、その親類であったり、武官文官であったりする。 
ある者は王と親類を殺し、自らが王であると名乗り。 
ある者は殺された者を思い、復讐に燃え。 
ある者はたとえ主君が暴君であっても、忠義を尽くし。 
ある者は暴君をいさめたがために、王に殺される。 
ある者は仁政に主眼をおいて、国を富ませ。 
ある者は仁政を敷く王に忠義を尽くし。 
ある者は道楽にうつつを抜かし、政を忘れ国を荒廃させ。 
ある者は王様を手玉にとる。 

死ぬまでの時間つぶしをただただするだけだ。 
自分にとっての最良の方法で。 
蚊に刺されてかゆいと感じる事は、不快であり、それを掻くことが最良な方法だ。 
そしてかきむしって血が出れば、快楽はまた不快に変わる。 
将に来たらんとする事態を自らの意思で避けるのか、それとも知らずに苦しみを味わうのか。 
長い目で見たときに、かきむしることは得策ではない。 
一時の感情に身を任せるということは危険をはらんでいる。 
しかし感性はどうすることもできない。 
理性は意思に関わる。 
理性は感性を必要とする。 
理性だけでは社会は成り立てない。 

私は厭世家と思われるだろう人間だが、私は問いたい。 
明日、君は時間つぶしに飽いた人が時計を早めるのを見る。 
君は理性で押し切るのだろうか、感性に流されるのだろうか。
両方のバランスなのだろう。
人間とは、不思議なモノだ。
理性のベースに感性がある。
このことを忘れてはならない。

2016年1月27日水曜日

国家社会主義ドイツ労働者党と自由民主党

民主党の小川氏が市民連合においての挨拶で、安倍晋三総理大臣がヒトラーに似てきた、と発言した。
安倍首相がアドルフ・ヒトラーに例えられるのは、彼が行政に復帰してから度々あることだ。
少し、考えてみよう。

鳩山元総理大臣は、ヒトラーに似ていたのか?
と、主語をあえて変えて考えてみる。
選挙で大勝した民主党は、脱官僚・政治主導を掲げた。
官僚に問題があるということにして、そして官僚と癒着した政治が悪いとした。
結果をみるに失敗に終わったと思うが、支持率は70パーセントを超えていた。
私は、鳩山元総理がヒトラーに似ているとは思えない。
ヒトラーほど演説がうまかったわけでもないし、ヒトラーほど実行力があったとも思えない。

安倍総理は似ているのか。
類似点はある。
憲法の解釈を変える。
民主的に選ばれた。
「アベしちゃう」と叩かれた姿は面影も無く、はっきりと答弁をする。

私は似ていると思うが、それは大衆にウケの良い方法を勉強して真似た成果ではないかと思っている。
ヒトラーの右腕ゲッベルスは、アメリカの商業広告からヒントを得てプロパガンダを作っていたという。
大衆に嘘を繰り返して言うと信じる等という言葉もあながち嘘ではない。

似ていないと思う点もある。
ナチス労働党は、急激に支持者を増やした。
自民党は選挙で勝ったが、狂信的な自民党信者という人を見かけたことはない。
勢いが欲しい自民党はナチスの手法を真似ようと試行錯誤しているのではないだろうか。

ナチスはドイツ国内・国外を含め既存の勢力を壊そうとした。
だからこそ、戦争が引き起こされた。
自民党は、既存勢力の現れだ。
既存勢力は勢力の保守を求める。
無論、拡大をもくろむが、捨て身はしない。

本当に、安倍首相がヒトラーに似ているのだったら、もっと過激にやっているのではないだろうか。
野党の政治家を投獄したり党本部を破壊したりして徹底的に議会政治を破壊して、低所得年金受給者に三万円を配るなんかよりも大々的な公共事業を打ち立て、償還すると宣戦布告と見なすと言われたアメリカ国債を償還し「やれるもんならやってみろ」と恫喝し、すべての元凶はXXだと言って殺戮する。

こう考えると、ナチス党の執行力・実行力は、自民党の比ではない。
如何に、急進的であったことか!
私は、安倍政権よりも、安倍政権の後の政権の方が過激なモノが出てくるのではないだろうかと睨んでいる。