2016年2月2日火曜日

ぼくらの祖国を読んで

ぼくらの祖国という青山繁晴氏が書いた本が私の本棚から発掘された。
発掘したのは私ではない。家に遊びに来た友達だ。
本棚という海から積み書を救出なさるその姿、まるで海猿のようで。
「ぼくそこはいい。」とおっしゃっていました。
士の言う事に間違いはあるまい、と興味深く拝読したところ、これまたスラスラ読める。難しい事を平易に書いていて非常に面白かった。

青山氏の言わんとすることはまったくその通りであり、胸の中のわだかまりが溶けていく、その彼の言葉の作用を楽しませていただいた。
しかし、唯一、祖国という言葉だけがむなしく響いている。

ぼくらの祖国。
祖国とは祖の国。
僕の祖国か。

移民の僕からすると国境という概念が古い。
僕は祖国という言葉よりも、文化共同体という言葉をあえて使いたい。
祖国という言葉を使った方がイメージしやすいからだ。
アメリカを見ると、やけに集団づくりに合理的で、世界中の人間に適応可能なのだ。
グローバリズムとはつまりは、世界のアメリカ化。
世界のみんなは、移民になる。
皆が祖国を失う。しかし、彼らは彼らの所属する文化共同体に寄って生きていく。

街はなれ
ながれついた
みなとまち

この街の人々の祖国は別にある。
しかし、彼らはアメリカを愛する。
彼らは彼らの所属する自立した永続し得る共同体を愛する。
それは、アメリカ合衆国であったり、母国であったり、家族であったり、宗教であったり、信条であったりする。

人類皆兄弟。
守るべきルールだけ守って、楽しく死にましょう。
そういう考えが非常に合理的で私は好きだ。
感情を発散させて、幸福を感じる事も法律に触れない範囲では、何をしてもよい。
自由の国アメリカ。

ゴミくずが
ながれついた
みなとまち

アメリカは無駄が多い。
2ドルでピザのスライスを買う。チーズが置いてある。
もちろん、振りかけるわけだが、命中せずにパラパラとこぼれる。
こぼれたチーズは塵として世に出て行った。
そのチーズは陸路を大型トラックで運ばれたうえで、塵に対してエネルギーを大量に使ったに等しい。
まぁ、そういう意味で、人間も、これといった事をしない限りは、同じ事である。

日本人の特徴としてあるのは、青山氏も言うように大和魂だ。
武士道とは死ぬことと見つけたり。
さばかりのことに死ぬるや、さばかりの事に生くるや、よせよせ問答。
集団の為に生きるというのが和人のようだ。
いや、集団の調和に努めるのが流行っているのだろう。

好きなところに住む。
そのためには、スキルが必要である。
田舎に住んでも生活していけるスキルである。仕事がないかもしれないが、自分で仕事を作れるならば、それを糧にして生きていけるであろう。
サラリーマンが都会に住む理由は、会社が都会にあるからだ。仕事によって、住むところを縛られるのだ。
次なる移民の時代、日本のような雇用形態―終身雇用―とアメリカのような雇用形態―契約雇用―とでコンフリクトがおきるだろう。
終身雇用、つまり、永遠に、神奈川に住まねばならない。場合によっては転勤だ。
契約雇用、つまり、好きな所に住める。

終身雇用の制度の中では、会社に所属することが給料をもらえる理由なのだ。
契約は、契約に沿って仕事をし、報酬を得る。
だからこそ、アメリカの大学の学部は重要であり、証書も重要なのだ。
職歴・学歴・あなたはどんなファンクションなの?
問題にされることは一緒なのだが、細かい点で差異が少しある。

未来予想。
日本でソフトバンクがサイバー大学というITを中心とした通信制大学を設立した。
ダイエーも大学を作ったことを考えると、時代の寵児は教育に手を出すようだ。
孫正義はインターネットの時代の到来を確実に実現しようとしている。
軍隊で運用されいたマネージメントのシステムを普及させるとともに、新しい価値である情報の運用システムも必要とされた。
クラウドシステムはつまり、世界のいかなる場所、国境に制限されずにインターネットへと接続が出来る環境であれば、ひとつの同じインターネットという空間を通して、ひとつにつながることunifyが出来る。
それはつまり、チベットの塩をネットでアメリカから買う事ができ、UPSですぐに届くような時代の到来の前兆であろう。
つまり、ネットでUnifyしたといえども、現実空間は存在する。
その移動を物流が支え、物流をささえてるのは技術とエネルギーだ。

そして人々は死ぬまで楽しく過ごすのである。

国境の無い時代が来るのに祖国を唱えるのは古いが、和人の精神の点については同意する。

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