2016年2月20日土曜日

知っている日常

難しいこと書こうと思ったけど、めんどくさいからいいや。

という訳で、どうでも良いこと




売店である男を見た。

彼は白人だった。

彼は数あるフードの中からカップラーメンを選びレジへ。

彼は売店内でお湯を入れると

テーブルにラーメンをそーっと起き

蓋の上に彼の「武器」を置いた。

少しの間、彼はそわそわしながら待っていた。

数分後、彼は蓋を外した。

彼の眼鏡は曇った。

しかし、無視である。

彼は麺をすくい上げて

二回ほど空中で上下した後

息をかけてさました。

至って日本ではありふれた光景であるが

アクターは白人である。

わたしは日本人を見るかのように彼を見ていた。

そして、次の瞬間、違和感を感じたのだ。

普通のプロセスを書いてみよう。

「麺ふーふー

ずずずずずずずず

はふはふはふ

すんすん(鼻をすする音)」

しかしながらカルチャーの差

「麺ふーふー

・・・・

・・・・

・・・・」

も、、、物足りない

やっぱり

ラーメンはラーメンであって欲しい。

熱いスープ

熱い麺



曇る眼鏡

たれてくる鼻

そしてあの麺をすする感じ。

わかるだろうか?




見慣れた光景だが、見慣れていない。

なにかが少しだけ違う。

そんな生活をずっと続けると、なにかが少しだけ違うのが日常となる。

そして、なにも違わない日常というのに違和感を覚える。

それでも僕は生きていく。

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