表面見て判断するなら、存分に厭世家だ。
渋谷を歩いてるギャルを見ていると、ほとんどがAV女優に見えてくるし
バレンタイン商戦を見ていると
愛し合い
哀たしかめる
恋試合
と一句出来てしまった。
小父様と若者がごった返す夜のマクドナルドでメシを食ってるとベジタリアンになった友達を思い出した。
生きるために他を殺す、というごく普通なありふれた事に辟易としてるだけなのだ。
次はお前が殺すばんだし、殺されるかもしれない。
悲しいことだ。
それを厭世家というのかな。
歯向かったら殺されるし、歯向かわなかったら餓死。
一緒になって殺すしかない。
理性的なしごく真っ当な解答ではないだろうか。
しかし、お肉はおいしい。
ベジタリアンになった左翼の彼女は一体どんなバレンタインデーを過ごすのだろうか?
リベラルとか、社会のためとかほざいてもさ、一緒じゃん。
ほほえみもとまどいも意味をなくしていく。
すべては明日のため。
それでいいのだろうか。
感情ってなんだい。
邪魔な物でしかないじゃないか。
わからないなぁ。
理性的に行動して後悔することってあるじゃん。
理性的に行動したのにもかかわらずね。
感情で人生を棒に振る人も多い。
カジノでギャンブルに本気を出している人たちを見ていて思う。
競輪場、競馬場で本気を出している人も多いことだろう。
理性的に考えて、ギャンブルをやるのは、ハイリスクハイリターンな行為だ。
ギャンブルで財をなす人は数限られている。
しかし、夢を見てギャンブルをする。
面白いことに、私の知る限り、ギャンブルにはまる男達は、なぜかナンパをしない。
ナンパより、ギャンブルのほうが好きなようだ。
ナンパのほうがリスクが低いし、リターンが大きいと思うんだよなぁ。
そんなことを、永山則夫(死刑囚)の手記を読みながら思う。
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