2016年2月15日月曜日

人類学アレコレ

人類学の大前提は人に変わりなしという、平等主義にもとれる発想だ。 
私と彼は違う。 
一緒にするなと個性を追い求めてる人は言うかもしれないが、やはり大して変わらない。 

先日、田園調布に自転車で行ってきた。 
東京の高級住宅街に古墳があるというからおもしろいものだ。 
古墳の横には小さな博物館があるという、是非とも見に行きたいと思い、自転車で多摩川の土手を走りカメラを持って行った。 
自転車のチェーンの鍵を忘れるという失態を犯したものの、博物館の玄関の前に自転車を置き、受付の人に頼んで、監視してもらった。 

小さな博物館だった。 
博物館の中には、関東圏の古墳から発掘された物を展示してあった。 
武器に装身具、当時の生活形態、そして埴輪。(土偶じゃないよ) 

多摩川の下流域にあたる、このあたりは、多摩川の潤沢な水資源と、肥沃な大地があり、5世紀頃には上野毛国という大きな集落があったと、日本書紀には記されている。 
関東圏には他にも国があり、勢力抗争は絶たなかった、という。 
傲慢な王に反対する勢力が大和朝廷に泣きつき、連合軍として王を追い出し、関東圏は大和朝廷の支配下に入ったと日本書紀には記されているそうな。 

史記には様々な人間が登場してくる。 
その多くは王国の王様であったり、その親類であったり、武官文官であったりする。 
ある者は王と親類を殺し、自らが王であると名乗り。 
ある者は殺された者を思い、復讐に燃え。 
ある者はたとえ主君が暴君であっても、忠義を尽くし。 
ある者は暴君をいさめたがために、王に殺される。 
ある者は仁政に主眼をおいて、国を富ませ。 
ある者は仁政を敷く王に忠義を尽くし。 
ある者は道楽にうつつを抜かし、政を忘れ国を荒廃させ。 
ある者は王様を手玉にとる。 

死ぬまでの時間つぶしをただただするだけだ。 
自分にとっての最良の方法で。 
蚊に刺されてかゆいと感じる事は、不快であり、それを掻くことが最良な方法だ。 
そしてかきむしって血が出れば、快楽はまた不快に変わる。 
将に来たらんとする事態を自らの意思で避けるのか、それとも知らずに苦しみを味わうのか。 
長い目で見たときに、かきむしることは得策ではない。 
一時の感情に身を任せるということは危険をはらんでいる。 
しかし感性はどうすることもできない。 
理性は意思に関わる。 
理性は感性を必要とする。 
理性だけでは社会は成り立てない。 

私は厭世家と思われるだろう人間だが、私は問いたい。 
明日、君は時間つぶしに飽いた人が時計を早めるのを見る。 
君は理性で押し切るのだろうか、感性に流されるのだろうか。
両方のバランスなのだろう。
人間とは、不思議なモノだ。
理性のベースに感性がある。
このことを忘れてはならない。

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