2016年1月16日土曜日

荘子-古代中国の実存主義 福永光司 01

神保町の古書店をブラブラしていたとき、山本書店さんへと入った。
中華関連の書籍を多く扱う味のある本屋だ。
春秋左伝を探していたが、入ったら最後。
あの本、この本と目移りしてしまう。

神保町の古書店のようなところには、またまだ外国人は来ないもんだなぁ、と思っていたら、中国人の旅行客が数名。
すごいな、中国人、よく知ってる!
ようこそ!
アメリカの古書店で、私は観光客の日本人をみたことが無いぞ!

旅行客が手に取った本を横目で見ると「中国・文化大革命」。
お目が高い!

インターネットでいくら規制しようが、実際に日本で本を買って持って帰ればいい。
他国が如何に自国を見ているか、これを知ることは非常に重要だ。
孫子曰く、敵を知り己を知れば百戦危うからず。
中国を侮るのは非常によろしくない、と私は常々思う。

私は、麻雀と将棋で例えるのだが、よくよく、考えてみて欲しい。
中華人民共和国の外交は、麻雀に似ている。
勝ち・負けの他に、どっちでもない、という結果がある。
上がるのか、下りるのか、振り込むのか。
自分以外に、プレイヤーが三人居て、非常に高度な政治力を必要とするのが麻雀だ。
自分が毎回勝たなくても、良かったりする。
多面的に、複合的なゲームだ。

一方、日本の外交は将棋に似ている。
アメリカと指して、ロシアと指して、中華人民共和国と指して、台湾と指して・・・
常に一面的で、部分的な外交だ。
他国をふんだんに巻き込んで、外交するという事をしない。

そんな爆買い中国人旅行客を見ながら、私は一冊の本を手に取った。
荘子-古代中国の実存主義。
福永光司氏の荘子に関する本だった。

福永光司氏の荘子・内篇は非常に感動する内容だった。
他の漢籍の本と違い、注釈はなく、解説が凄く面白い。
以来、私は彼のファンだ。

荘子-古代中国の実存主義は、荘子の事を想像しながら、荘子の言葉を吟味していく。
完全に、福永氏の妄想なのだが、その妄想が痛快過ぎる。
今回は、第二章から一部を引用して終わろうと思う。

危ういかな人間!人間とは常に狂乱と破滅の危機を己れ自身の中に包蔵する、この上なく危険な存在ではないか。多くの人間はこの危険の上に安坐して、忘れられた危険を己れの健全さだと信じこんでいる。日常的な生活の姑息さの上にあぐらをかいて、この己れに限ってその危懼はないとうそぶいているのが、大多数の人間の健全さである。

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