社会尊厳死を研究してる男がおりました。
自死に関する研究は、社会学でも心理学でもなく、哲学になるそうです。
研究を聞いてみると、「社会的な弱者が自ら尊厳死を選ぶことは肯定に値する」、という自殺教唆罪に抵触するような研究です。
この研究の背景には、自死に関して否定的な先入観が社会的に蔓延しているからだ、と男は言います。
自死はいけない事なのでしょうか?
我々人間に自死を選ぶ権利は無いのでしょうか?
菜食主義者の同僚からは、”人でなし”と呼ばれている男は言います。
「自死を選ぶまでに至った過程が大事だ。遺された側はつらいかも知れないが、当事者はもっとつらい。そういう環境に当事者をおいたのも遺された側だ。自死を選ぶ権利はある。」
男は続けて言います。
「遺された側は、当事者の自死を受け容れられずに拒絶する。相互理解が成り立ってない。社会的活動には相互理解は必須だが、社会的弱者には著しく欠けているというデータがある。」
自死を選ぶ人へのケアが重要ではないのか、と尋ねると「ケアを受けるのは死にたくない人間だ。わずかながら生きたいと思っているからこそ、ケアを受ける。少しでも生きたいと思わせることは大事だが、それでも無理なら自死して楽になるのも一つの手段だ。」
死んだら楽になるというデータはあるのか、と尋ねると「無い。だけど、それは俺の研究じゃない。」
なんでも最近、欧米では安楽死の研究が流行っていて、こうでもしないと研究費が出ないと嘆いておりました。
最近の流行にならって、自死肯定論調だそうです。
結論ありきの研究です。
勿論、この男、自死なんてテンで興味がありません。
ただの飯の種として研究しているのです。
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