2016年1月25日月曜日

批判的思考 02

批判的思考はアメリカの大学で盛んに取り上げられる。
インターネットでwhy is critical thinking importantと調べて見ると、英語圏の大学の英語科のウェブサイトにたどり着いた。

批判的思考は哲学科ではなく、英語科の範囲になるようだ。
英語科のサイトによると、「批判的に読め!」との事だ。
文献に書いてあることを鵜呑みにするのでは無く、一つ一つを精査して読むことが大事だと。

私事だが、正直、私も最初すごく戸惑った。
「批判的に読め?そんな事をしたらキリがないぞ」と。
屁理屈言うなと、よく怒られていた私は天性の批判家だったようだ。

すこし、脇道にそれるが、批判と非難の違いを明確にしておきたい。
批判は、事実を提示する作業だ。
非難は、感情的な攻撃だ。
残念なことに、批判が非難と認識されることがある。
たとえば、「彼は嘘つきだ」と、事実を提示したにもかかわらず、「毒舌だねー」となる。
面白いことに、批判を非難と捉える人は、攻撃するのが大好きだ。
魚を見て、魚肉を思い浮かべるのと同じだ。
逆に、批判を非難と捉えない人は、事実を好む。
そして、批判から得られる事実かも知れない事象を何よりも大事にする、非常に貴重な人だ。

話を戻そう。
アメリカの大学では入学後、最初に英語の論文の授業を取ることになる。
なぜならば、多くの授業の必須科目だからだ。
化学でも論文、社会学でも論文、映画でも論文。
これでもか、というほど読む、そして書く。
読んだら、引用して書く。
引用した物を、論理的に筋立てて組み立てていく。
そうやって、批判的思考と論理的思考を血肉と化す。
さらに、クラス内で議論する。

議論は討論ではない。
DiscussionとDebateの違いだ。
討論は、テーマがあり、是非に別れて論議し、勝ち負けを決める勝負だ。
アメリカの大学にはディベート部というクラブ活動もあるが、ディスカッション部というクラブ活動は聞いたことがない。
ディスカッションは、お互いの意見の主張する対話だ。
勝ち負けよりも、模索に近いと私は思う。
ディスカッションしたかったら、大学街にある酒場に行ってみるといい。
あーでもない、こーでもない、と様々な議論が繰り広げられている。
相手と意見が違う事が当たり前なアメリカ文化では、互いの意見を述べあうことは、当たり前だ。
そうやってお互いを知り合うのだ。
非常に知的な人たちの会話方法だと、私は考えている。

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