2016年1月14日木曜日

This War of Mineにはまる

This War of Mineは、ボスニア内戦を題材にしたサバイバルゲーム。
Steamの年始セールで、7ドル弱だったから、買ってしまった。

プレイヤーは、紛争地域で一般人として生活をする。
廃墟に住みながら、夜な夜な街に必要な資材を集めに駆け回り、スナイパー・餓死・凍傷・病気・鬱などの死の危険から何とかして生き延びるという鬱ゲー。
腹は減るし、暖炉の薪はなくなるとチームメイトは病気になるし、盗みを働けば鬱になるし、強盗の犯行現場に居合わせて強盗殺せば自責の念で自殺するし、なんともまぁ、生をゲームにしちゃったゲーム。
所々の芸が細かく、作り手の情熱を感じた。
たとえば、政府軍の兵舎に忍び込んで、兵隊の手紙を読む。
その手紙がまた、グロい。
母親に宛てて書いた手紙で、内容は、一般市民の女を捕まえて、木に括り付けて、爆弾を体中にセットして爆破した。頭が僕の方に飛んできた。以来、その光景が脳裏に焼き付いてしまい、辛い。
砲撃された学校の中に残る、両親に宛てた手紙。
缶詰一つのためにどんな変態プレーもするという売春宿の説明文。
登場人物のストーリー。
生を題材としたスルメゲー

ボスニアの内戦を元に作られたといわれる、半フィクションのゲームだからか、すごく深い・濃い。
戦争は、どこか遠くで起きる物ではなくて、今居る街で起きるかもしれない。
後方支援とか云う言葉をよくよく吟味してみる事だ。
「徴兵制が再開される!」、そんな事より、目の前に爆弾が落ちてきて、親や子供が吹っ飛ばされるかも知れない、という話題に何故ならないのだろうか。
野坂氏の火垂るの墓をよくよく見ることだ。
腹を空かした妹のための粉ミルクを飲んでしまう、そういう決断をせざるを得ない、極限の状態に陥るかもしれないことが、後方支援という事では無いのだろうか。

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