2016年1月23日土曜日

自己肯定という名目で自己否定を続けた

「私はあんなヤツなんかと違うんだ」、と頑張って差別化し何とかしようとする人がいる。他己を否定することで、自己を肯定するという行為だ。
何とかしようとするが、その目的を観ると不快の解消がしたいだけなのだ。
しかし、当人は不快がコンプレックスな感情に起因しているとは気づかず、都合の良い理屈を夜な夜な練り出す。
理屈により自身を正当化し感情的に一時的にスッキリする。そして日はまた昇る。新たな不快とともに。
これの厄介な所は、一時的にスッキリする方法を知っている事だ。
だから、それ以外の方法を知ることは難しいだろう。
理屈は薬である。

言い訳とは、とある事象にさらに別の情報をつけたし(説明)する事によって相手の理解を得ようとする行為である。
理屈が薬になる良い例だ。
または、自己に対する欺瞞だ。
状況の理解を得て、さらに相手の同情を得るのが最高の言い訳になる。
「だって、何何だったんだもん。」
何何だったんだもん、と理由をつけて、障害を乗り越えて問題を解決する意志を感じられない。

最高の言い訳をしても、既に起きた事象は事象のままだ。
例を挙げてみよう。
すこし汚いが、最大のコメディだと思って読んでくれ。
半分実話だ。
ウンコを漏らしながら、レストランで飯を食う。
トイレが閉まってたと言い訳しながら。
漏らしてしまった事に関して同情も理解も得るかも知れない。
しかしながら、「席で飯を食いながら、する事を選んだ」事に関して直接的に関係はしてない。
トイレのドアの前で忍んでする事だって出来たはずだ。
それにも関わらず、周りに居る人に不快な思いをさせる事を選んで「トイレが閉まっていた」と言い訳をする。
言い訳して他人の不快な思いが消えるかっていうと、そうじゃない。
本人が誤魔化しているだけだ。

この手の人間は、煽りやすく、熱しやすく冷めやすい。
全うに注意して、話を聞いてもらえると「昨日までの俺は馬鹿だった。さらば自分。」みたいな事を言い始める。
自己を肯定するために、自己を否定する。
それも、その目的を観ると不快の解消がしたいだけなのだ。
注意を聞いてもらって、達成感があったが、その後の反応を見てがっかりした。
無限ループの突入だ。
私は以来、口をつぐんだ。

ムナシサを
ニゴシ誤魔化す
理屈かな

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