フロンティアブラックスミス(FrontierBlacksmith)にはまって、12時間くらいずーっとやってた。
フリーゲームは今まで、やったことがない。
いや、語弊がある。
フリーのネトゲもやったことあるし、フリーのスマホゲームもしたことある。
ただし、フリーのWindows用ゲームは、マインスイーパやソリティア以外に、やった記憶がない。
窓の杜をよくよく目を通していたら、フリーゲームという項目があり、興味をもってやってみた。
いまさらフリーゲームかよwwwwと内心思った。
というのも、その昔フラッシュが流行った時代に、フリーゲームをやっている友達を見てた事を思い出し、なんだか懐かしい気分になったからだ。
やったことがない。
どこかの有志というかものづくりが好きな人が、作ったのだから、これは体験してみるに越したことはないと思った次第。
水滸伝2のようなインターフェイス。
言い換えれば、少し古臭い。
3Dやら、アニメーションやら、壮大なエフェクトやら、ない。
無料の作品で、そこまで力を入れていたら、ゲーム会社唖然とするだろう。
逆に言えば、商品となるゲームには、やはり、それなりのリソースがつぎ込まれているということだろう。
操作のすべてはクリックで行う。
時間の進行などは、ショートカットキーが欲しかった。
クリックし過ぎて、右手の人差し指が痛い。
そんだけ、面白い。
中毒性があった。
二回目、三回目とやってしまう。
この中毒性は、完全に狙って作られていると革新したと同時に、作者の才能の無駄遣いというか、芸術に対する態度に脱帽した。
ゲーム自体は複雑といっていいだろう。
しかし、おそらくだが、そして直感的に言うならば、一つ一つのシンプルな要素を複合させているのだろう。
HoI3やCiv5のような、超複雑なレベルではない事は確かだ。
その点を考えると、水滸伝2ほどの複雑さだとも言える。
このゲームが20年前に発売されていたとするならば、大受けだったのではないだろうか。
ちょっとまたやってくる。
2016年2月24日水曜日
2016年2月23日火曜日
東亜政治記
維新の党と民主党が合流決定らしいですね。
こうなってくると、参議院選挙どこに投票しようかなぁ、ってなりますなぁ。
この前の衆議院選挙も、結局だれにも投票したくない、という贅沢な悩みにぶち当たりましたよ。
そのとき、香港では普通選挙を守れって民主主義を守れって叫んでて、なんだかなぁ、って香港人と話した記憶がありますね。
投票に値する人間が立候補してないって、すごくシュールだなって思うんですよね。
北朝鮮の投票率は100パーセントで信任されているそうですが、日本では投票率の低下が問題となってますね。
自民党も公明党も民主党も維新の党も緑の党も幸福実現党も共産党も社民党も、公約読んだし、立候補者確認したけど、なんなんだ。って言うレベル。
投票してもらうためには大衆の賛同が必要で、大衆のウケを狙った事を掲げて演説なりしてさ。
組織票がある人たちは、なんか適当にやれば当選するって知ってるから、これといった事言ってないし、やってない。
無所属で当選したところで、やれることなんて短い質疑応答の時間でインパクトある質問するとか、天皇陛下に直訴状渡すとか、議論ではない次元での活動をせざるを得ない。
一生懸命質問したところで、ノラリクラリ。
大臣の言質取ったところで、二年後には別の大臣になってることで、そんなものに何の意味もなさない。
いつもスクープは週刊誌から始まってさ、国会議員同士でトンデモナイすっぱ抜きあいなんてしないし、なれ合いのプロレスみたいなもんで、そういうショーに大衆は飽き飽き。
アメリカの大統領選は、アメリカ人のお祭り好きという性質もあってか、大騒ぎするけど、日本と対照的過ぎる。
民主主義の最悪の形なんじゃないだろうか。
こういう時に、威勢の良いことを歯切れ良く言う人が出てくると、ウケる。
維新の始まりもそんな感じだったもんね。
アドルフ・ヒトラーも、そんな感じだったもんな。
台湾の政治活動も非常に躍起だよなぁ。
中国人の方が民主主義を理解しているのかもしれない。
それは、清朝が辛亥革命で民衆に打倒されたからか。
日本は武家の連中が錦の御旗取り出して起こした反乱であって、民衆が起こした反乱ではない。
民主主義は、民衆が命を張って得た権利というものがあってこそ、活きるのではないだろうか。
こうなってくると、参議院選挙どこに投票しようかなぁ、ってなりますなぁ。
この前の衆議院選挙も、結局だれにも投票したくない、という贅沢な悩みにぶち当たりましたよ。
そのとき、香港では普通選挙を守れって民主主義を守れって叫んでて、なんだかなぁ、って香港人と話した記憶がありますね。
投票に値する人間が立候補してないって、すごくシュールだなって思うんですよね。
北朝鮮の投票率は100パーセントで信任されているそうですが、日本では投票率の低下が問題となってますね。
自民党も公明党も民主党も維新の党も緑の党も幸福実現党も共産党も社民党も、公約読んだし、立候補者確認したけど、なんなんだ。って言うレベル。
投票してもらうためには大衆の賛同が必要で、大衆のウケを狙った事を掲げて演説なりしてさ。
組織票がある人たちは、なんか適当にやれば当選するって知ってるから、これといった事言ってないし、やってない。
無所属で当選したところで、やれることなんて短い質疑応答の時間でインパクトある質問するとか、天皇陛下に直訴状渡すとか、議論ではない次元での活動をせざるを得ない。
一生懸命質問したところで、ノラリクラリ。
大臣の言質取ったところで、二年後には別の大臣になってることで、そんなものに何の意味もなさない。
いつもスクープは週刊誌から始まってさ、国会議員同士でトンデモナイすっぱ抜きあいなんてしないし、なれ合いのプロレスみたいなもんで、そういうショーに大衆は飽き飽き。
アメリカの大統領選は、アメリカ人のお祭り好きという性質もあってか、大騒ぎするけど、日本と対照的過ぎる。
民主主義の最悪の形なんじゃないだろうか。
こういう時に、威勢の良いことを歯切れ良く言う人が出てくると、ウケる。
維新の始まりもそんな感じだったもんね。
アドルフ・ヒトラーも、そんな感じだったもんな。
台湾の政治活動も非常に躍起だよなぁ。
中国人の方が民主主義を理解しているのかもしれない。
それは、清朝が辛亥革命で民衆に打倒されたからか。
日本は武家の連中が錦の御旗取り出して起こした反乱であって、民衆が起こした反乱ではない。
民主主義は、民衆が命を張って得た権利というものがあってこそ、活きるのではないだろうか。
2016年2月22日月曜日
年功序列の不思議
年を取ったモノが偉くなる。
それが年功序列である。
この概念と、会社のポジションをごちゃ混ぜになると、ムチャクチャなことになる。
年を取ると、会社のポジションも上がるという仕組みだ。
人の上に立つとムチャクチャに権力を乱用する人がいたとする。
その人が、年を取って若い連中よりも偉くなると、権力を乱用しはじめる。
近所や地域という、比較的開けた組織の中ででかい顔するのは実害は少ないが、会社という閉鎖的な組織の中でデカい顔をすると、下の方はかわいそうになる。
不思議なもので、年を取ったらチームのリーダーくらいには成らないといけないらしい。
だれもがリーダーの素養があるわけではないのに、年を取ったらリーダーなのだ。
リーダー同士の格というのがあって、出世した老人、出世しなかった老人で差があるのは事実だろうが。
出世する能力がなかった老人も、出世するのが会社制度の中での年功序列だろう。
老人をいたわる事と、能力のない老人を出世させる事は同じ意味ではない。
不思議なもんだなぁ。
年功序列というと、部下が年上というのもある。
部下が年上だと、困るらしい。
扱いにくいというのだ。
うーん。
年上の部下は扱いにくい、というのも、年上には敬語を使うという風習。
そして、会社という組織では、部下は下。
上下関係という概念に囚われすぎだが、日本文化には上下関係は常につきまとっていたものだ。
ヨーロッパでも、上下関係というのは存在した。
教会がトップで、王侯貴族がそれに続く。
アメリカでも、軍隊や大学のスポーツ部やフラタニティーに上下関係は根付いている。
しかし、アメリカの上下関係は、やはりゆるい。
個々人は平等であり、組織の中にいるから上下関係があるという考えがある。
本音と建前だ。
上官の命令は絶対なんてことは、アメリカにはない。
アメリカにおいて、絶対なのは、民主主義と自由。
つまり、イデオロギーだ。
もちろん上官の命令に反して、組織に被害をもたらす部下はクビだ。
上官の責任でもあるからだ。
上官もミスったら、その上官にクビにされる。
非常にシビアな世界だ。
だからこそ、アメリカの大学はリーダーシップを重要視しているのだとおもう。
一人一人が、リーダーとしての視点で働く。
みんながリーダーで協調性があるのか。
それをなんとかするのが、イイリーダーなんでしょうね。
それが年功序列である。
この概念と、会社のポジションをごちゃ混ぜになると、ムチャクチャなことになる。
年を取ると、会社のポジションも上がるという仕組みだ。
人の上に立つとムチャクチャに権力を乱用する人がいたとする。
その人が、年を取って若い連中よりも偉くなると、権力を乱用しはじめる。
近所や地域という、比較的開けた組織の中ででかい顔するのは実害は少ないが、会社という閉鎖的な組織の中でデカい顔をすると、下の方はかわいそうになる。
不思議なもので、年を取ったらチームのリーダーくらいには成らないといけないらしい。
だれもがリーダーの素養があるわけではないのに、年を取ったらリーダーなのだ。
リーダー同士の格というのがあって、出世した老人、出世しなかった老人で差があるのは事実だろうが。
出世する能力がなかった老人も、出世するのが会社制度の中での年功序列だろう。
老人をいたわる事と、能力のない老人を出世させる事は同じ意味ではない。
不思議なもんだなぁ。
年功序列というと、部下が年上というのもある。
部下が年上だと、困るらしい。
扱いにくいというのだ。
うーん。
年上の部下は扱いにくい、というのも、年上には敬語を使うという風習。
そして、会社という組織では、部下は下。
上下関係という概念に囚われすぎだが、日本文化には上下関係は常につきまとっていたものだ。
ヨーロッパでも、上下関係というのは存在した。
教会がトップで、王侯貴族がそれに続く。
アメリカでも、軍隊や大学のスポーツ部やフラタニティーに上下関係は根付いている。
しかし、アメリカの上下関係は、やはりゆるい。
個々人は平等であり、組織の中にいるから上下関係があるという考えがある。
本音と建前だ。
上官の命令は絶対なんてことは、アメリカにはない。
アメリカにおいて、絶対なのは、民主主義と自由。
つまり、イデオロギーだ。
もちろん上官の命令に反して、組織に被害をもたらす部下はクビだ。
上官の責任でもあるからだ。
上官もミスったら、その上官にクビにされる。
非常にシビアな世界だ。
だからこそ、アメリカの大学はリーダーシップを重要視しているのだとおもう。
一人一人が、リーダーとしての視点で働く。
みんながリーダーで協調性があるのか。
それをなんとかするのが、イイリーダーなんでしょうね。
2016年2月21日日曜日
社会人という言葉を考えてみる
社会人。
会社人ではなく、社会人。
大学を卒業して就職すると、社会人1年目とかいう称号になる。
バイトしてようが、大学生は社会人ではないようだ。
どうやら、大学生は社会人ではないようだ。
会社人ではなく、社会人。
大学を卒業して就職すると、社会人1年目とかいう称号になる。
バイトしてようが、大学生は社会人ではないようだ。
どうやら、大学生は社会人ではないようだ。
言葉から考えるに、社会に属している人だ。
社会に属していない人なんているのだろうか?
日本人の親がいれば、日本人になってしまう法制度の日本国において、社会に属していないという状況は、とてもじゃないか思いつかない。
働いていない人は社会人なのだろうか?
どう考えても、社会人だろう。
NHKが集金に来るだろうし、年金も、住民税も、色々と社会に属したくなかろうが、社会に属している。
しかし、社会人とはそういう事を言っているのではなさそうだ。
おそらく、ふわっとした概念の言葉で、厳格な定義とか求めていない。
中学卒業して、社会人。
高校卒業して、社会人。
大学卒業して、社会人。
などの使われ方を見ると、どうやら社会で働いている人を言うのだろう。
さて、自営業で親の会社の手伝いをしている青年は社会人なのだろうか?
そうしてみると、専業主婦は社会人なのか?
隠居した老人は社会人だろうか。
彼らとて、社会人ではあるが、何せ言葉の定義が曖昧だから、よくわからない。
だったら、逆の発想をもって考えてみたらどうだ。
社会の反対。
反社会。
反社会勢力という言葉を最近よく見かける。
おそらく、その構成員は反社会人になるのだろう。
しかし、彼らも社会に属している。
どうして私がこんなに困っているかと言うと、社会人という言葉の英単語が見つからなくて、「社会人」という概念は日本文化のモノであると感じたと同時に、その概念の不明瞭な意味に戸惑っているからだ。
社会人。
社会を構成している人と、した場合、Citizen(市民)が妥当な言葉かもしれない。
だが、「大学卒業して市民になるんだ。」なんて、言う人はいない。
だって、大学生も市民だもの。
そう考えると、社会人という言葉は複数の定義を持つと考えるのが妥当なのかもしれない。
ひとつは、社会を構成し、社会に属す人のこと。
もうひとつは、労働者。
なんか、しっくりこないなぁ。
だったら、社会主義・共産主義の社会なんじゃねーの?
って考えてみましょう。
社会主義者って意味じゃないよ。
社会とはなんですか?って事よ。
社会とは、英語で言うソサエティー。
ソサエティーって、二つ意味があって、一般社会という意味もあれば、お友達会とか上流社会とかの意味がある。
ギルドのような、とある集団って意味。
そういう家族ではない集団に属している人、社会人。
って事なのか?
まー、どーでもいいや。
2016年2月20日土曜日
知っている日常
難しいこと書こうと思ったけど、めんどくさいからいいや。
という訳で、どうでも良いこと
売店である男を見た。
彼は白人だった。
彼は数あるフードの中からカップラーメンを選びレジへ。
彼は売店内でお湯を入れると
テーブルにラーメンをそーっと起き
蓋の上に彼の「武器」を置いた。
少しの間、彼はそわそわしながら待っていた。
数分後、彼は蓋を外した。
彼の眼鏡は曇った。
しかし、無視である。
彼は麺をすくい上げて
二回ほど空中で上下した後
息をかけてさました。
至って日本ではありふれた光景であるが
アクターは白人である。
わたしは日本人を見るかのように彼を見ていた。
そして、次の瞬間、違和感を感じたのだ。
普通のプロセスを書いてみよう。
「麺ふーふー
ずずずずずずずず
はふはふはふ
すんすん(鼻をすする音)」
しかしながらカルチャーの差
「麺ふーふー
・・・・
・・・・
・・・・」
も、、、物足りない
やっぱり
ラーメンはラーメンであって欲しい。
熱いスープ
熱い麺
箸
曇る眼鏡
たれてくる鼻
そしてあの麺をすする感じ。
わかるだろうか?
という訳で、どうでも良いこと
売店である男を見た。
彼は白人だった。
彼は数あるフードの中からカップラーメンを選びレジへ。
彼は売店内でお湯を入れると
テーブルにラーメンをそーっと起き
蓋の上に彼の「武器」を置いた。
少しの間、彼はそわそわしながら待っていた。
数分後、彼は蓋を外した。
彼の眼鏡は曇った。
しかし、無視である。
彼は麺をすくい上げて
二回ほど空中で上下した後
息をかけてさました。
至って日本ではありふれた光景であるが
アクターは白人である。
わたしは日本人を見るかのように彼を見ていた。
そして、次の瞬間、違和感を感じたのだ。
普通のプロセスを書いてみよう。
「麺ふーふー
ずずずずずずずず
はふはふはふ
すんすん(鼻をすする音)」
しかしながらカルチャーの差
「麺ふーふー
・・・・
・・・・
・・・・」
も、、、物足りない
やっぱり
ラーメンはラーメンであって欲しい。
熱いスープ
熱い麺
箸
曇る眼鏡
たれてくる鼻
そしてあの麺をすする感じ。
わかるだろうか?
見慣れた光景だが、見慣れていない。
なにかが少しだけ違う。
そんな生活をずっと続けると、なにかが少しだけ違うのが日常となる。
そして、なにも違わない日常というのに違和感を覚える。
それでも僕は生きていく。
2016年2月19日金曜日
愛をささやく。君に。
愛してる
とても、とても。
愛しい君なしの
人生なんて無いと思ってる。
それほど
重要なんだ。
今思えば
一時期
俺が日本に居るとき
毎日一緒だったよね。
毎日だと退屈になってしまったね。
今ではそれも、俺の思い出の一部だよ。
今週は二回あったね。
来週は四回もあるよ。
その後も結構あるよね。
一緒に過ごせる時を
こころから
うれしく思う。
君のおかげで
このボロボロの
おれもいやされてる
と思うんだ。
君のおかげで
ゆっくりと寝られるんだ。
ほんとうに。
ほんとうに。
これからも
ずーっと
一緒にいたいね。
愛してるよ。
心から愛してるよ、休日。
とても、とても。
愛しい君なしの
人生なんて無いと思ってる。
それほど
重要なんだ。
今思えば
一時期
俺が日本に居るとき
毎日一緒だったよね。
毎日だと退屈になってしまったね。
今ではそれも、俺の思い出の一部だよ。
今週は二回あったね。
来週は四回もあるよ。
その後も結構あるよね。
一緒に過ごせる時を
こころから
うれしく思う。
君のおかげで
このボロボロの
おれもいやされてる
と思うんだ。
君のおかげで
ゆっくりと寝られるんだ。
ほんとうに。
ほんとうに。
これからも
ずーっと
一緒にいたいね。
愛してるよ。
心から愛してるよ、休日。
2016年2月18日木曜日
アメリカ合衆国とアップルコンピューター
アップルが書簡を発表しましたね。
アメリカの企業なら当たり前のことですし、アメリカ人なら当然の選択だと思います。
そう思ってしまった、私は大分アメリカに感化されてしまったようで、これから日本で生活する際に色々とカウンターカルチャーショックを経験するのだと思います。
アップルは、民主主義のために、アメリカ合衆国のFBIの要求をお断りすると言いました。
これは一体どういうことなのか。
視点を変えれば非常に明快単純なんです。
私も、今後忘れないようにここに書いておこうと思います。
社会の時間に、憲法は国の最高法規と文言を習いました。
これは暗記してテストに備えるというもので、よくよく理解しておりませんでした。
刑法とか民法より上の法律だって事らしいんですが、意味が不明ですね。
憲法とは何か。
アメリカの憲法と歴史的背景を考えると、簡単にわかります。
その昔、イギリスの植民地支配が嫌な人たちが団結しました。
その時に、団体のルールを決めました。
Constitutionというものですね。
この団体というのが、アメリカ合衆国であり、ルールというのが憲法です。
イギリスでは、Constitutionというより、長い歴史の中で作られた一部の重要な法律が憲法扱いを受けるという点で、何所の国も違う法制度を持っている事を目の当たりにします。
アメリカの企業なら当たり前のことですし、アメリカ人なら当然の選択だと思います。
そう思ってしまった、私は大分アメリカに感化されてしまったようで、これから日本で生活する際に色々とカウンターカルチャーショックを経験するのだと思います。
アップルは、民主主義のために、アメリカ合衆国のFBIの要求をお断りすると言いました。
これは一体どういうことなのか。
視点を変えれば非常に明快単純なんです。
私も、今後忘れないようにここに書いておこうと思います。
社会の時間に、憲法は国の最高法規と文言を習いました。
これは暗記してテストに備えるというもので、よくよく理解しておりませんでした。
刑法とか民法より上の法律だって事らしいんですが、意味が不明ですね。
憲法とは何か。
アメリカの憲法と歴史的背景を考えると、簡単にわかります。
その昔、イギリスの植民地支配が嫌な人たちが団結しました。
その時に、団体のルールを決めました。
Constitutionというものですね。
この団体というのが、アメリカ合衆国であり、ルールというのが憲法です。
イギリスでは、Constitutionというより、長い歴史の中で作られた一部の重要な法律が憲法扱いを受けるという点で、何所の国も違う法制度を持っている事を目の当たりにします。
アメリカにおいて、アメリカの団体としてのルールに従う。
アメリカ人は、このルールを尊重し、従う。
政府も、このルールに則り法律を制定し、施行する。
企業も、このルールに従う。
例え、アメリカ合衆国政府の要求を突っぱねる事になっても、このルールに従う。
アメリカ合衆国憲法前文:We the People of the United States, in Order to form a more perfect Union, establish Justice, insure domestic Tranquility, provide for the common defence, promote the general Welfare, and secure the Blessings of Liberty to ourselves and our Posterity, do ordain and establish this Constitution for the United States of America.
拙訳:我々アメリカ合衆国の人間は、より完璧な連合を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を確実にし、共同の防衛を提供し、一般福祉を増強し、そして我々と我々の子孫の自由の恩恵を確保する目的をして、ここにアメリカ合衆国ののためにこの憲法を制定し、確定する。
こんなハッキリとした前文があるものだから、明快すぎる。
FBIのアップルへの要求はiPhoneに、バックドアという誰でもアクセスできる裏口をひっそりと作ってくれというものだった。
アップルは、それは出来ないと言った。
理由は、技術的観点から言って、リスクが大きいという事。
そして、アメリカの憲法に反しているという事だった。
日本の憲法は公共の福祉に反しない限りの自由を認めていて、アメリカのそれとは異なる。
アメリカは、公共の福祉という名目で悪がはびこるという考えを持っているように私には見受けられる。
例を挙げるならば、ベトナム戦争だ。
世界の自由と民主主義のためという名目で戦争を始め、実際はそうではなかったと思った民衆は戦争に反対した。
それだけ、個人個人の権利というものを重要視している国だと言うことだ。
2016年2月17日水曜日
学者に二種あり
先日ね、私の一番弟子と久しぶりに会ったのよ。
彼とはかれこれ5年のつきあいになるね。
たったの5年だけど、今後の彼の飛躍を考えると、頼もしい気持ちで一杯だよ。
私なんかより、断然出来が良い。
名選手、名監督にあらずと言うけど、名監督、名選手にあらずでもある。
私は失敗ばかりして失敗から色々学んだけど、しなくてもいい失敗ってのもある。
それをよく聞いて、理解して、避けて進んでくれるってのは、ありがたい限りだよ。
彼もまだ23とかだから、若者らしく人生なにをしたらいいか分からない、まだそんな年頃で。
色々と経験をしているけど、芯となるモノが欠けている感じ。
本人もそれを分かっていて焦っているんだけど、焦る必要も無いけどなぁ、と横目で見ながら思っていた。
若気の至りってそんなもんだ。
日米のベンチャー企業の違いを彼から聞いた。
また、私自身、思ったことを綴っていこうと思う。
この記事は思索の途中の雑記になる。
読者諸君も同じく思索して欲しい。
アメリカ政府主導でベンチャー企業を推進するプログラムがある。
SBAと呼ばれる部署で、各省庁から金を引っぱってきては、ベンチャーに投資をしている。
この投資先というのが、主に大学出の博士号を持っている人たち。
工学系は勿論のこと、社会学、心理学、教育学など様々な分野にわたり、その分野の特許などを保持している人たちが中心となって、事業を興す。
日本も、アメリカほど活発ではないが、似たようなシステムがある。
学者風情が商いに手を出して、成功するはずがないという風潮があるような気もする。
たしかに、アメリカのトロフィースクールと呼ばれるトップ大学のビジネススクールの生徒は生き馬の目を抜く様な眼をしていて、いかにも、という雰囲気を出していた。
そんな世界に、好奇心旺盛の眼をした学者が入っていったら、眼を抜かれてしまうのも、わからないでもない。
ベンチャーというと、フェイスブックを思い浮かべる人が今のご時世多いだろう。
ウェブサービスを提供する会社だ。
昨今のITベンチャーブームは、特許保持者が始めるより、アイディア
保持者が具現化している所がある。
特許もアイディアなんだが、日本の場合社会科学での博士に金を出している連中はアメリカと比べて少ない。
また、工学系の博士は、そのまま日本のメーカーへと流れていく。
ここが、アメリカと日本の大きな違いではないだろうか。
現在のソフトウェア全盛の時代の少し前、ハードウェアの時代を振り返ってみる。
そうすると、アメリカのフェアチャイルドやらインテルやらのシリコンバレーのスタートアップをしていた時代に、日本ではメーカーが社内の研究所で開発を進めていた。
アメリカで研究開発をしていたのは博士号所持者だったが、日本のメーカーで研究開発をしていたのは博士号所持者ではない。
ここが、一つの大きなミソだ。
批判的思考とは何か、という拙著の記事を思い出してもらいたい。
日本の大学では全く問題にされていない課題であり、さらに日本の大学出の人たちが就職するために受ける試験でも、問題にされてはいない。
彼らが課題として課されるのは、決められた事を与えられた時間内で素早く正確に答えることであり、答えのない問題を考え続けることではない。
答えのない問題を考え続けること。
実はこれ、アメリカでは、大学で教えられるんです。
そして、アメリカでは、答えのない問題を考え続けることは、一部の学者のような知的な人たちだけがやってるんです。
何故なら、彼ら学者は、そう訓練されたからです。
それ以外の人たちは、そんな事しないのです。
研究開発に答えはありませんから、答えを見つけ出さないといけません。
そんなの、実は、みんな出来るはずなんですよ。
実際にやってきたのが、日本ではないでしょうか。
だから、博士なんか取って学者なんかにならなくても、研究開発の仕事が出来るようになる。
そして、批判的思考なんかも、導入する必要がなかった。
日本では、学者とは、ただの物知りです。
彼らが独自の論点を主張するのをあまり見たことがありません。
主任やら先輩やら恩師やら孔子やらが言ったことを暗記して、必要に応じて思い出す人たちです。
クイズ番組に出てくるインテリさんたちもそうでしょう。
いや、もちろん、立派な学者さんも日本にはいますよ。
理化学研究所とかに。
だけど、私は、日本にいる物知りなだけの学者というのが、アメリカにいるのか、と思ったんですよ。
アメリカという国の教育を見る限り、物知りを作る事に重点を置いていない。
また、日本という国の教育を見る限り、独自の論点や主張という事に重点を置いていない。
独自の論点や主張がなく、過去の繰り返しでは、イノベーションは出てこない。
温故知新とは、新しい気づきだが、その新しい気づきの芽を伸ばしてこそのイノベーションだ。
答えのない問題を考えるにあたって、知識量が多い方が良いとは思うが、ただの物知りになっては駄目なのだろう。
彼とはかれこれ5年のつきあいになるね。
たったの5年だけど、今後の彼の飛躍を考えると、頼もしい気持ちで一杯だよ。
私なんかより、断然出来が良い。
名選手、名監督にあらずと言うけど、名監督、名選手にあらずでもある。
私は失敗ばかりして失敗から色々学んだけど、しなくてもいい失敗ってのもある。
それをよく聞いて、理解して、避けて進んでくれるってのは、ありがたい限りだよ。
彼もまだ23とかだから、若者らしく人生なにをしたらいいか分からない、まだそんな年頃で。
色々と経験をしているけど、芯となるモノが欠けている感じ。
本人もそれを分かっていて焦っているんだけど、焦る必要も無いけどなぁ、と横目で見ながら思っていた。
若気の至りってそんなもんだ。
日米のベンチャー企業の違いを彼から聞いた。
また、私自身、思ったことを綴っていこうと思う。
この記事は思索の途中の雑記になる。
読者諸君も同じく思索して欲しい。
アメリカ政府主導でベンチャー企業を推進するプログラムがある。
SBAと呼ばれる部署で、各省庁から金を引っぱってきては、ベンチャーに投資をしている。
この投資先というのが、主に大学出の博士号を持っている人たち。
工学系は勿論のこと、社会学、心理学、教育学など様々な分野にわたり、その分野の特許などを保持している人たちが中心となって、事業を興す。
日本も、アメリカほど活発ではないが、似たようなシステムがある。
学者風情が商いに手を出して、成功するはずがないという風潮があるような気もする。
たしかに、アメリカのトロフィースクールと呼ばれるトップ大学のビジネススクールの生徒は生き馬の目を抜く様な眼をしていて、いかにも、という雰囲気を出していた。
そんな世界に、好奇心旺盛の眼をした学者が入っていったら、眼を抜かれてしまうのも、わからないでもない。
ベンチャーというと、フェイスブックを思い浮かべる人が今のご時世多いだろう。
ウェブサービスを提供する会社だ。
昨今のITベンチャーブームは、特許保持者が始めるより、アイディア
保持者が具現化している所がある。
特許もアイディアなんだが、日本の場合社会科学での博士に金を出している連中はアメリカと比べて少ない。
また、工学系の博士は、そのまま日本のメーカーへと流れていく。
ここが、アメリカと日本の大きな違いではないだろうか。
現在のソフトウェア全盛の時代の少し前、ハードウェアの時代を振り返ってみる。
そうすると、アメリカのフェアチャイルドやらインテルやらのシリコンバレーのスタートアップをしていた時代に、日本ではメーカーが社内の研究所で開発を進めていた。
アメリカで研究開発をしていたのは博士号所持者だったが、日本のメーカーで研究開発をしていたのは博士号所持者ではない。
ここが、一つの大きなミソだ。
批判的思考とは何か、という拙著の記事を思い出してもらいたい。
日本の大学では全く問題にされていない課題であり、さらに日本の大学出の人たちが就職するために受ける試験でも、問題にされてはいない。
彼らが課題として課されるのは、決められた事を与えられた時間内で素早く正確に答えることであり、答えのない問題を考え続けることではない。
答えのない問題を考え続けること。
実はこれ、アメリカでは、大学で教えられるんです。
そして、アメリカでは、答えのない問題を考え続けることは、一部の学者のような知的な人たちだけがやってるんです。
何故なら、彼ら学者は、そう訓練されたからです。
それ以外の人たちは、そんな事しないのです。
研究開発に答えはありませんから、答えを見つけ出さないといけません。
そんなの、実は、みんな出来るはずなんですよ。
実際にやってきたのが、日本ではないでしょうか。
だから、博士なんか取って学者なんかにならなくても、研究開発の仕事が出来るようになる。
そして、批判的思考なんかも、導入する必要がなかった。
日本では、学者とは、ただの物知りです。
彼らが独自の論点を主張するのをあまり見たことがありません。
主任やら先輩やら恩師やら孔子やらが言ったことを暗記して、必要に応じて思い出す人たちです。
クイズ番組に出てくるインテリさんたちもそうでしょう。
いや、もちろん、立派な学者さんも日本にはいますよ。
理化学研究所とかに。
だけど、私は、日本にいる物知りなだけの学者というのが、アメリカにいるのか、と思ったんですよ。
アメリカという国の教育を見る限り、物知りを作る事に重点を置いていない。
また、日本という国の教育を見る限り、独自の論点や主張という事に重点を置いていない。
独自の論点や主張がなく、過去の繰り返しでは、イノベーションは出てこない。
温故知新とは、新しい気づきだが、その新しい気づきの芽を伸ばしてこそのイノベーションだ。
答えのない問題を考えるにあたって、知識量が多い方が良いとは思うが、ただの物知りになっては駄目なのだろう。
2016年2月16日火曜日
ある日のシアトル
闇雲に歩くと今年一番の冬のにおいを感じた。
ワシントン大学からブロードウェーまでは坂道をのぼる。
高速の入り口があって、交通量が結構おおい。
その坂をのぼって、消防署の前を通り、公園の横を通り過ぎる。
この公園はアメリカに来たばかりの頃、タバコをサウジアラビア人からもらってチェーンスモーキングをして、ヤニクラでゆっくりしていった公園であった。
この公園でゆっくりした後、ホームステイ先まで歩いて帰ったのを思い出した。
本当に苦しかった。
そして少し歩くと、豪邸みたいな屋敷の横を歩き、教会を複数ぬけ、見晴らしの良いところを抜けて、まだまだ続く緩やかな坂を歩いていき、ようやくブロードウェーにたどり着くのだ。
ブロードウェーの始まりはカフェ、映画館、日本食、銀行で始まり、タイ料理タバコ屋ギリシャ料理云々。
再開発で大分変わってしまったなぁ。
前から歩いてくる、眼鏡をかけたひげを生やした白人の如何にも中産階級という労働者はタバコを旨そうにのんでいた、
学生街とは違い、ここではタバコは普通のものに感じられる。
スーパーの前で小銭を求められても、困りますよ。
いぬかわええなぁ。
新聞はいりません。
おっ、ベトナム人の集団だ。
ディックスハンバーガーでゲイのカップルの口論。
黒人のおじさんがホームレスに好きなだけ食えって言ってハンバーガーをおごってた。
大学で用事をすませて、外にでる。
チェーンスモーキングをした広場でゆっくりしていこうと思ったら、オキュパイシアトル、っていうね。
相変わらず極左な大学だなぁ、としみじみ。
ピザを食ってると99%の人がいた。
俺はどっちなんだろう。
ピザ食べるかい?と誘われても、困りますよ。
すこし話すと、別に悪い人でもない。
お金持ちが全てを奪うのはおかしい!って。
話してるとバスが通り過ぎた。
なるほどね。こういう時はあるもんだ。
歩いて家に帰った。
ワシントン大学からブロードウェーまでは坂道をのぼる。
高速の入り口があって、交通量が結構おおい。
その坂をのぼって、消防署の前を通り、公園の横を通り過ぎる。
この公園はアメリカに来たばかりの頃、タバコをサウジアラビア人からもらってチェーンスモーキングをして、ヤニクラでゆっくりしていった公園であった。
この公園でゆっくりした後、ホームステイ先まで歩いて帰ったのを思い出した。
本当に苦しかった。
そして少し歩くと、豪邸みたいな屋敷の横を歩き、教会を複数ぬけ、見晴らしの良いところを抜けて、まだまだ続く緩やかな坂を歩いていき、ようやくブロードウェーにたどり着くのだ。
ブロードウェーの始まりはカフェ、映画館、日本食、銀行で始まり、タイ料理タバコ屋ギリシャ料理云々。
再開発で大分変わってしまったなぁ。
前から歩いてくる、眼鏡をかけたひげを生やした白人の如何にも中産階級という労働者はタバコを旨そうにのんでいた、
学生街とは違い、ここではタバコは普通のものに感じられる。
スーパーの前で小銭を求められても、困りますよ。
いぬかわええなぁ。
新聞はいりません。
おっ、ベトナム人の集団だ。
ディックスハンバーガーでゲイのカップルの口論。
黒人のおじさんがホームレスに好きなだけ食えって言ってハンバーガーをおごってた。
大学で用事をすませて、外にでる。
チェーンスモーキングをした広場でゆっくりしていこうと思ったら、オキュパイシアトル、っていうね。
相変わらず極左な大学だなぁ、としみじみ。
ピザを食ってると99%の人がいた。
俺はどっちなんだろう。
ピザ食べるかい?と誘われても、困りますよ。
すこし話すと、別に悪い人でもない。
お金持ちが全てを奪うのはおかしい!って。
話してるとバスが通り過ぎた。
なるほどね。こういう時はあるもんだ。
歩いて家に帰った。
2016年2月15日月曜日
人類学アレコレ
人類学の大前提は人に変わりなしという、平等主義にもとれる発想だ。
私と彼は違う。
一緒にするなと個性を追い求めてる人は言うかもしれないが、やはり大して変わらない。
先日、田園調布に自転車で行ってきた。
東京の高級住宅街に古墳があるというからおもしろいものだ。
古墳の横には小さな博物館があるという、是非とも見に行きたいと思い、自転車で多摩川の土手を走りカメラを持って行った。
自転車のチェーンの鍵を忘れるという失態を犯したものの、博物館の玄関の前に自転車を置き、受付の人に頼んで、監視してもらった。
小さな博物館だった。
博物館の中には、関東圏の古墳から発掘された物を展示してあった。
武器に装身具、当時の生活形態、そして埴輪。(土偶じゃないよ)
多摩川の下流域にあたる、このあたりは、多摩川の潤沢な水資源と、肥沃な大地があり、5世紀頃には上野毛国という大きな集落があったと、日本書紀には記されている。
関東圏には他にも国があり、勢力抗争は絶たなかった、という。
傲慢な王に反対する勢力が大和朝廷に泣きつき、連合軍として王を追い出し、関東圏は大和朝廷の支配下に入ったと日本書紀には記されているそうな。
史記には様々な人間が登場してくる。
その多くは王国の王様であったり、その親類であったり、武官文官であったりする。
ある者は王と親類を殺し、自らが王であると名乗り。
ある者は殺された者を思い、復讐に燃え。
ある者はたとえ主君が暴君であっても、忠義を尽くし。
ある者は暴君をいさめたがために、王に殺される。
ある者は仁政に主眼をおいて、国を富ませ。
ある者は仁政を敷く王に忠義を尽くし。
ある者は道楽にうつつを抜かし、政を忘れ国を荒廃させ。
ある者は王様を手玉にとる。
死ぬまでの時間つぶしをただただするだけだ。
自分にとっての最良の方法で。
蚊に刺されてかゆいと感じる事は、不快であり、それを掻くことが最良な方法だ。
そしてかきむしって血が出れば、快楽はまた不快に変わる。
将に来たらんとする事態を自らの意思で避けるのか、それとも知らずに苦しみを味わうのか。
長い目で見たときに、かきむしることは得策ではない。
一時の感情に身を任せるということは危険をはらんでいる。
しかし感性はどうすることもできない。
理性は意思に関わる。
理性は感性を必要とする。
理性だけでは社会は成り立てない。
私は厭世家と思われるだろう人間だが、私は問いたい。
明日、君は時間つぶしに飽いた人が時計を早めるのを見る。
君は理性で押し切るのだろうか、感性に流されるのだろうか。
両方のバランスなのだろう。
人間とは、不思議なモノだ。
理性のベースに感性がある。
このことを忘れてはならない。
人間とは、不思議なモノだ。
理性のベースに感性がある。
このことを忘れてはならない。
2016年2月14日日曜日
とある冬の平日
そう、僕はニート。
平日が休日さ。
昨日は今年80になる伯母さんの家に行って、52になるひきこもりの従兄と話してね。
世相の事を話したり、なんなり。
年寄りと話すのは楽しい。
水曜日にこれといってすることもなかったから、泊まって。
今日は昼間に西武園に一人で行ってきたってわけよ。
所沢に向かう電車は当たり前だけど空いてて、中庸読んでたんだけど、周り観たら可愛い女子なんていないから、窓の外に目がいってね。
田舎でごんすなーって都会育ちの俺は思っちゃった。
田舎っていっても、アレよ。
何もない訳じゃないのよ。
一戸建ての家があって、細い路地があって、畑があって。
高いビルなんてありやしない。
所沢の駅で乗り換えでね。
降りたら、田舎の空気を感じたよね。
駅の周りには高いビルはあるんだけど、ネオンで装飾されてるわけでもなく、若干汚くなった白いビルがチラホラあってさ。
所沢で電車乗り換えて、東村山でまた乗り換え。
西武園行きの電車はガラガラ。
50以降の小父さんがチラホラいて、制服来た小学生のガキが車内で鬼ごっこ。
西武園に着いたら、目的地を確認。
そう、競輪場よ。
平日の昼間に賭博。
やってるヤツを観にね。
駅から出ると、目の前に競輪場。
空気がおかしい。
ガラが悪いっていうか、なんていうか、殺伐としてる。
競輪場から出て駅に向かう小父さんたちは、イライラしてる感じでタバコふかしてるありさまよ。
入場料は無料。
ゲートの前には白い服きた二人のお姉さんがいらっしゃいませーって言いながら、二人で雑談よ。
中に入ったら、結構ガラガラだけど、結構人居る。
短気そうな小父さん達が、新聞とスクリーンのにらめっこしててね。
そうこうしているうちに、レースが始まりますっていうアナウンスがあって、カメラ取り出したら、警備員の小父さんがお客さん撮影禁止ですって言ってきてね。
撮影禁止なんてどこにも書いてねーじゃねーか。禁止事項は動物の持ち込みと酒飲んで暴れることとペットの持ち込みと暴力団員じゃねーかって思ったんだけど、大人しくカメラしまって、レース開始。
テキパキとレースが始まって。
気がついたら、小父さん達は見やすいポジションにみんな移動しててね。
残り一周の鐘がカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンって鳴ってさ。
出場者が前を通ったときに、一人の小父さんがヤジ飛ばしてね。
「がんばれよー」だってさ。
ゴールした瞬間、小父さん達移動開始。
さっさと場外出てタバコに火を付けて、駅に向かっていく人もいれば、駐車場向かったり。
あー、掛け金ゼロだwwなんて思いながら、俺も外出てさ。
写真取れないなら、いみないじゃん。
かといって、そのまま帰るのもシャクだから、外ぶらぶら歩いたのよ。
西武園には遊園地もあってさ。
観覧車とかジェットコースターとかあるんだけど、人っ子一人居ないのよ。
で、うーわ、寂れすぎでしょ。
って思ったら、今日は休園日なんだってさ。
休園日の遊園地は、なんか鉄骨が無造作に置いてある、寂しい空間でさ。
そこにいるのは、大人のような子供っていうか、子供っていうかおっさんだけだわ、って思ったらなんだか悲しくなっちゃって、そのまま多摩湖まで歩いて、でも、駅は結局競輪場の前だから、歩いて戻ってさ。
駅に戻って始発の電車に座って待ってたら、小父さんたち一杯きてね。
あ、そうか、丁度最終レース終わったのか。なんて納得してたら、軽い朝のラッシュ並の乗車率。
しかも、ほとんどおっさん。
タバコと酒臭いおっさん。
良い身なりしてるおっさんゼロ
会話聞いてると、第10レースまでは3000円あったんだけどなぁ。
だとか、アレは惜しかった。
だとか、下らない話でゲラゲラ笑ってる有様よ。
だって酔ってるんだから。
ここに可愛い女性一人いたら、痴漢とかありえるぜ。って思っちゃうくらいの、おっさんたちよ。
年取って、することないのかな。
ギャンブルが楽しいというよりか、なんていうかね。
西部すげーっていうか、ギャンブルすげーっていうか。
ニートっていうか、なんていうか。
あはれだなぁ。
平日が休日さ。
昨日は今年80になる伯母さんの家に行って、52になるひきこもりの従兄と話してね。
世相の事を話したり、なんなり。
年寄りと話すのは楽しい。
水曜日にこれといってすることもなかったから、泊まって。
今日は昼間に西武園に一人で行ってきたってわけよ。
所沢に向かう電車は当たり前だけど空いてて、中庸読んでたんだけど、周り観たら可愛い女子なんていないから、窓の外に目がいってね。
田舎でごんすなーって都会育ちの俺は思っちゃった。
田舎っていっても、アレよ。
何もない訳じゃないのよ。
一戸建ての家があって、細い路地があって、畑があって。
高いビルなんてありやしない。
所沢の駅で乗り換えでね。
降りたら、田舎の空気を感じたよね。
駅の周りには高いビルはあるんだけど、ネオンで装飾されてるわけでもなく、若干汚くなった白いビルがチラホラあってさ。
所沢で電車乗り換えて、東村山でまた乗り換え。
西武園行きの電車はガラガラ。
50以降の小父さんがチラホラいて、制服来た小学生のガキが車内で鬼ごっこ。
西武園に着いたら、目的地を確認。
そう、競輪場よ。
平日の昼間に賭博。
やってるヤツを観にね。
駅から出ると、目の前に競輪場。
空気がおかしい。
ガラが悪いっていうか、なんていうか、殺伐としてる。
競輪場から出て駅に向かう小父さんたちは、イライラしてる感じでタバコふかしてるありさまよ。
入場料は無料。
ゲートの前には白い服きた二人のお姉さんがいらっしゃいませーって言いながら、二人で雑談よ。
中に入ったら、結構ガラガラだけど、結構人居る。
短気そうな小父さん達が、新聞とスクリーンのにらめっこしててね。
そうこうしているうちに、レースが始まりますっていうアナウンスがあって、カメラ取り出したら、警備員の小父さんがお客さん撮影禁止ですって言ってきてね。
撮影禁止なんてどこにも書いてねーじゃねーか。禁止事項は動物の持ち込みと酒飲んで暴れることとペットの持ち込みと暴力団員じゃねーかって思ったんだけど、大人しくカメラしまって、レース開始。
テキパキとレースが始まって。
気がついたら、小父さん達は見やすいポジションにみんな移動しててね。
残り一周の鐘がカーンカーンカーンカーンカーンカーンカーンって鳴ってさ。
出場者が前を通ったときに、一人の小父さんがヤジ飛ばしてね。
「がんばれよー」だってさ。
ゴールした瞬間、小父さん達移動開始。
さっさと場外出てタバコに火を付けて、駅に向かっていく人もいれば、駐車場向かったり。
あー、掛け金ゼロだwwなんて思いながら、俺も外出てさ。
写真取れないなら、いみないじゃん。
かといって、そのまま帰るのもシャクだから、外ぶらぶら歩いたのよ。
西武園には遊園地もあってさ。
観覧車とかジェットコースターとかあるんだけど、人っ子一人居ないのよ。
で、うーわ、寂れすぎでしょ。
って思ったら、今日は休園日なんだってさ。
休園日の遊園地は、なんか鉄骨が無造作に置いてある、寂しい空間でさ。
そこにいるのは、大人のような子供っていうか、子供っていうかおっさんだけだわ、って思ったらなんだか悲しくなっちゃって、そのまま多摩湖まで歩いて、でも、駅は結局競輪場の前だから、歩いて戻ってさ。
駅に戻って始発の電車に座って待ってたら、小父さんたち一杯きてね。
あ、そうか、丁度最終レース終わったのか。なんて納得してたら、軽い朝のラッシュ並の乗車率。
しかも、ほとんどおっさん。
タバコと酒臭いおっさん。
良い身なりしてるおっさんゼロ
会話聞いてると、第10レースまでは3000円あったんだけどなぁ。
だとか、アレは惜しかった。
だとか、下らない話でゲラゲラ笑ってる有様よ。
だって酔ってるんだから。
ここに可愛い女性一人いたら、痴漢とかありえるぜ。って思っちゃうくらいの、おっさんたちよ。
年取って、することないのかな。
ギャンブルが楽しいというよりか、なんていうかね。
西部すげーっていうか、ギャンブルすげーっていうか。
ニートっていうか、なんていうか。
あはれだなぁ。
2016年2月13日土曜日
愛し合い 哀たしかめる 恋試合
世の人は私を厭世家と言うだろう。
表面見て判断するなら、存分に厭世家だ。
渋谷を歩いてるギャルを見ていると、ほとんどがAV女優に見えてくるし
バレンタイン商戦を見ていると
愛し合い
哀たしかめる
恋試合
と一句出来てしまった。
小父様と若者がごった返す夜のマクドナルドでメシを食ってるとベジタリアンになった友達を思い出した。
生きるために他を殺す、というごく普通なありふれた事に辟易としてるだけなのだ。
次はお前が殺すばんだし、殺されるかもしれない。
悲しいことだ。
それを厭世家というのかな。
歯向かったら殺されるし、歯向かわなかったら餓死。
一緒になって殺すしかない。
理性的なしごく真っ当な解答ではないだろうか。
しかし、お肉はおいしい。
ベジタリアンになった左翼の彼女は一体どんなバレンタインデーを過ごすのだろうか?
リベラルとか、社会のためとかほざいてもさ、一緒じゃん。
ほほえみもとまどいも意味をなくしていく。
すべては明日のため。
それでいいのだろうか。
感情ってなんだい。
邪魔な物でしかないじゃないか。
わからないなぁ。
理性的に行動して後悔することってあるじゃん。
理性的に行動したのにもかかわらずね。
表面見て判断するなら、存分に厭世家だ。
渋谷を歩いてるギャルを見ていると、ほとんどがAV女優に見えてくるし
バレンタイン商戦を見ていると
愛し合い
哀たしかめる
恋試合
と一句出来てしまった。
小父様と若者がごった返す夜のマクドナルドでメシを食ってるとベジタリアンになった友達を思い出した。
生きるために他を殺す、というごく普通なありふれた事に辟易としてるだけなのだ。
次はお前が殺すばんだし、殺されるかもしれない。
悲しいことだ。
それを厭世家というのかな。
歯向かったら殺されるし、歯向かわなかったら餓死。
一緒になって殺すしかない。
理性的なしごく真っ当な解答ではないだろうか。
しかし、お肉はおいしい。
ベジタリアンになった左翼の彼女は一体どんなバレンタインデーを過ごすのだろうか?
リベラルとか、社会のためとかほざいてもさ、一緒じゃん。
ほほえみもとまどいも意味をなくしていく。
すべては明日のため。
それでいいのだろうか。
感情ってなんだい。
邪魔な物でしかないじゃないか。
わからないなぁ。
理性的に行動して後悔することってあるじゃん。
理性的に行動したのにもかかわらずね。
感情で人生を棒に振る人も多い。
カジノでギャンブルに本気を出している人たちを見ていて思う。
競輪場、競馬場で本気を出している人も多いことだろう。
理性的に考えて、ギャンブルをやるのは、ハイリスクハイリターンな行為だ。
ギャンブルで財をなす人は数限られている。
しかし、夢を見てギャンブルをする。
面白いことに、私の知る限り、ギャンブルにはまる男達は、なぜかナンパをしない。
ナンパより、ギャンブルのほうが好きなようだ。
ナンパのほうがリスクが低いし、リターンが大きいと思うんだよなぁ。
そんなことを、永山則夫(死刑囚)の手記を読みながら思う。
2016年2月12日金曜日
愛あらずにあらず、愛なきなり
電話がなった。
ビクビクしながら、画面を見た。
なんのことはない、メールだ。
安心しながら、メールを開いた。
送信元は携帯会社。新規サービスの広告メールだ。
うるせーな、と思いつつ、返信する必要もない事に安堵しつつトイレにむかった。
この前外に出たのはいつだったろうと、便器の上で数えた。
三日前かな、いや、今日は何日だ。と携帯を取り出し確認した。
五日前だった。
しかし、そんなことなど、なんの意味をなさない。
外の世界の事なぞ、無関係なのだ。
無関係であって欲しいのだ。
数日前にもらったメールに返信していないことを思い出した。
なんて嘘をつこう。
頭をかきながら、黄色い水を流してトイレを出た。
メールを無視する時間が長くなるにつれて、たかだか返信するという行為に必要な勇気が大きくなる。
寝てたと言うには流石に寝過ぎだ。
このままいっそ死んでしまおうか。
暗い静かな部屋のベッドの上で、外の世界と独りで戦った。
風邪を引いていた、という無難な嘘が脳裏をよぎる。
心配される事ですら重荷になる。
返信しようと心に決めて、携帯を開く。
白い画面が、暗い部屋で彼女の疲れた顔を照らした。
ここ数日ろくに食べてもいない。
家にはなにもない。
外に出なければならない。
とりあえず、シャワーを浴びよう。
そう思い、携帯を閉じた。
シャワーを浴びている最中に何か思い浮かぶかもしれない。
そう願い、風呂場に向かった。
カミソリで体の毛を剃る。
そのとき、一つの解決法を見つけた。
このまま死んでしまうと言うことだ。
無視してそり続けた。
結局なにも思い浮かばなかった。
フラフラした足取りで頭を拭きながら、願うように冷蔵庫を開けた。
なにも無い。
それが現実だ。
ベッドの上に放置した携帯が光っていた。
ビクビク、そしてワクワクしながら、携帯を開けた。
不在着信1。
別れた男だった。
やる気がなくなった。
ベッドの上に腹ばいになった。
なにやってるんだろう。こんなところで。
ため息がでた。
換気扇の音が部屋に響いていた。
腹が鳴った。
そうだった、食べ物を得るために外に出るんだった。
コンビニまで歩いて7分。
化粧もする必要もない。
ジャージを着て、財布を探した。
別れた男からもらった、ビトンの鞄の中にあるはずだ。
脱ぎ散らかした服の中から鞄を出して財布と鍵を取り出した。
財布の中を見てみると、お守りとしてお母さんからもらった5円しか入ってなかった。
ご縁がありますように・・・・か。
そう独り言をつぶやいた。
泣きそうになった。
事実、涙が一筋だけこぼれていった。
まいったなぁ。
金が無ければ腹はふくれない。
どうすることもできない。
ため息が出た。
メールを返信しようと思った。
しかし、金が無いから貸してくれ、と言うのか。
ご飯食べよう。か?
どうしよう。
彼女はまた頭をかいた。
そうこしてたら、電話が鳴った。
友達からだ。
急いで出た。
大丈夫?連絡つかないから心配したよ-。
明るい声が彼女を泣かした。
デニーズに20分後落ち合うという約束をして、彼女は家を出た。
ビクビクしながら、画面を見た。
なんのことはない、メールだ。
安心しながら、メールを開いた。
送信元は携帯会社。新規サービスの広告メールだ。
うるせーな、と思いつつ、返信する必要もない事に安堵しつつトイレにむかった。
この前外に出たのはいつだったろうと、便器の上で数えた。
三日前かな、いや、今日は何日だ。と携帯を取り出し確認した。
五日前だった。
しかし、そんなことなど、なんの意味をなさない。
外の世界の事なぞ、無関係なのだ。
無関係であって欲しいのだ。
数日前にもらったメールに返信していないことを思い出した。
なんて嘘をつこう。
頭をかきながら、黄色い水を流してトイレを出た。
メールを無視する時間が長くなるにつれて、たかだか返信するという行為に必要な勇気が大きくなる。
寝てたと言うには流石に寝過ぎだ。
このままいっそ死んでしまおうか。
暗い静かな部屋のベッドの上で、外の世界と独りで戦った。
風邪を引いていた、という無難な嘘が脳裏をよぎる。
心配される事ですら重荷になる。
返信しようと心に決めて、携帯を開く。
白い画面が、暗い部屋で彼女の疲れた顔を照らした。
ここ数日ろくに食べてもいない。
家にはなにもない。
外に出なければならない。
とりあえず、シャワーを浴びよう。
そう思い、携帯を閉じた。
シャワーを浴びている最中に何か思い浮かぶかもしれない。
そう願い、風呂場に向かった。
カミソリで体の毛を剃る。
そのとき、一つの解決法を見つけた。
このまま死んでしまうと言うことだ。
無視してそり続けた。
結局なにも思い浮かばなかった。
フラフラした足取りで頭を拭きながら、願うように冷蔵庫を開けた。
なにも無い。
それが現実だ。
ベッドの上に放置した携帯が光っていた。
ビクビク、そしてワクワクしながら、携帯を開けた。
不在着信1。
別れた男だった。
やる気がなくなった。
ベッドの上に腹ばいになった。
なにやってるんだろう。こんなところで。
ため息がでた。
換気扇の音が部屋に響いていた。
腹が鳴った。
そうだった、食べ物を得るために外に出るんだった。
コンビニまで歩いて7分。
化粧もする必要もない。
ジャージを着て、財布を探した。
別れた男からもらった、ビトンの鞄の中にあるはずだ。
脱ぎ散らかした服の中から鞄を出して財布と鍵を取り出した。
財布の中を見てみると、お守りとしてお母さんからもらった5円しか入ってなかった。
ご縁がありますように・・・・か。
そう独り言をつぶやいた。
泣きそうになった。
事実、涙が一筋だけこぼれていった。
まいったなぁ。
金が無ければ腹はふくれない。
どうすることもできない。
ため息が出た。
メールを返信しようと思った。
しかし、金が無いから貸してくれ、と言うのか。
ご飯食べよう。か?
どうしよう。
彼女はまた頭をかいた。
そうこしてたら、電話が鳴った。
友達からだ。
急いで出た。
大丈夫?連絡つかないから心配したよ-。
明るい声が彼女を泣かした。
デニーズに20分後落ち合うという約束をして、彼女は家を出た。
2016年2月11日木曜日
大人の二乗
イヤフォン付けて電車で座ってると
女学生が二人乗ってきた。
会話はあいにく聞こえない。
二人とも似たような格好して、似たような髪の色にして、広告の北川ケイコみたいな化粧して。
対面に座っている、結婚式の披露宴でも参加するかのような格好をしている、黒で統一された濃いテカテカグレーの靴を履いた、30代の女性の控えた美しさが対照的だった。
そういえば、今日の国立科学博物館はキタネーオヤジとウルセーガキと綺麗なママで一杯だったなぁ。
コンピューター博物館に行こうと思ったら、日本にないんだってな。
ってことで、コンピューターコーナーがあるってネットに書いてあったから、上野の博物館に足を運んだって訳よ。
そしたらさ、今日からインカマチュピチュ展じゃない。
いやー、もう文系はねぇ。
って思いながら1400円払って中に入った。
まぁミーハーよ。
インカ帝国の興亡。
山脈に棚田を作り水路を造り民を食わせ他民族を侵略し従わせ。
侵略され滅んだ文明。
文字を持たない人々。
彼らが書いた小説でもあったら是非とも読んでみたい。
戦争を起こし、他民族を侵略した王。
スペイン人に殺された王。
釈尊はなかなか鋭い事を言ったもんだ。
諸行無常
是生滅法
生滅滅已
寂滅為楽
いやいや、こんなものを見に来たのではない。
コンピューターの未来に対するヒントはないかと、思って来たのだ。
電子計算機は作業を効率化させた。
それにより社会はさらに加速する。
40年ほど前に国鉄に大型のコンピューターが導入され、座席予約システムが構築された。
これにより便利に、そして素早く予約が出来るようになった、という。
なるほど、って。40年前かよ。
ふむぅぅぅ。
コンピューターの未来か。
しかし、まぁ、コンピューターコーナーは狭いなぁ。
工作機械やら、人工衛星やら、江戸時代の科学資料やら、零戦やらおいてはあるが、これだけか。
国産自動車のオートモの設計図がおいてある。
見る。
意味がわからないが、親父の話とかみ合わせて落ち着いて見れば、わかるぞ。
これは後輪駆動部のデフで、これはシャフトだな。
そーすると、これがトランスミッションで、そこから一本の棒が座席の横にあるわけだ。
なるほど。
内燃機関をつんだ車の構造は進化してないんだな。
大衆化はしたけど、車の過去と過去から見る現在はさして変わってないんだな。
そこに入るのが電気自動車か。
車という用途は変わっていない。
コンピューターの用途は多岐にわたる。
コンピューターの未来か。
電車の隣が一席あいたので、そのうちの一人が座る。
あいにく会話は聞こえない。
曲が終わったタイミングで会話が耳に入った。
「でさ、ミカ何て答えたと思う?」
「なんて?」
「大人の事情だ、って。」
笑いが吹き出しそうになって、堪えた。
お前も大人だろ。おい。
子供なのか?
あ?
いや、大人ぶってたいんだろうな。
体は大人なのによ。
大人なのによ。
会話がなかなかバカらしくて面白いぞ。
頑張って聞くことにした。
「んで、彼女のパパ頭良いらしくて。青学出て不動産はじめたんだって」
「すごいねー」
「アオガクよアオガク」
またしても笑いそうになった。
アオガクで頭が良いとか言っちゃうんだから、たぶん余程のバカなんだろう。
顔は絶対にニヤニヤしている。
聞かないようにつとめた。
これこそ大人の事情である。
女学生が二人乗ってきた。
会話はあいにく聞こえない。
二人とも似たような格好して、似たような髪の色にして、広告の北川ケイコみたいな化粧して。
対面に座っている、結婚式の披露宴でも参加するかのような格好をしている、黒で統一された濃いテカテカグレーの靴を履いた、30代の女性の控えた美しさが対照的だった。
そういえば、今日の国立科学博物館はキタネーオヤジとウルセーガキと綺麗なママで一杯だったなぁ。
コンピューター博物館に行こうと思ったら、日本にないんだってな。
ってことで、コンピューターコーナーがあるってネットに書いてあったから、上野の博物館に足を運んだって訳よ。
そしたらさ、今日からインカマチュピチュ展じゃない。
いやー、もう文系はねぇ。
って思いながら1400円払って中に入った。
まぁミーハーよ。
インカ帝国の興亡。
山脈に棚田を作り水路を造り民を食わせ他民族を侵略し従わせ。
侵略され滅んだ文明。
文字を持たない人々。
彼らが書いた小説でもあったら是非とも読んでみたい。
戦争を起こし、他民族を侵略した王。
スペイン人に殺された王。
釈尊はなかなか鋭い事を言ったもんだ。
諸行無常
是生滅法
生滅滅已
寂滅為楽
いやいや、こんなものを見に来たのではない。
コンピューターの未来に対するヒントはないかと、思って来たのだ。
電子計算機は作業を効率化させた。
それにより社会はさらに加速する。
40年ほど前に国鉄に大型のコンピューターが導入され、座席予約システムが構築された。
これにより便利に、そして素早く予約が出来るようになった、という。
なるほど、って。40年前かよ。
ふむぅぅぅ。
コンピューターの未来か。
しかし、まぁ、コンピューターコーナーは狭いなぁ。
工作機械やら、人工衛星やら、江戸時代の科学資料やら、零戦やらおいてはあるが、これだけか。
国産自動車のオートモの設計図がおいてある。
見る。
意味がわからないが、親父の話とかみ合わせて落ち着いて見れば、わかるぞ。
これは後輪駆動部のデフで、これはシャフトだな。
そーすると、これがトランスミッションで、そこから一本の棒が座席の横にあるわけだ。
なるほど。
内燃機関をつんだ車の構造は進化してないんだな。
大衆化はしたけど、車の過去と過去から見る現在はさして変わってないんだな。
そこに入るのが電気自動車か。
車という用途は変わっていない。
コンピューターの用途は多岐にわたる。
コンピューターの未来か。
電車の隣が一席あいたので、そのうちの一人が座る。
あいにく会話は聞こえない。
曲が終わったタイミングで会話が耳に入った。
「でさ、ミカ何て答えたと思う?」
「なんて?」
「大人の事情だ、って。」
笑いが吹き出しそうになって、堪えた。
お前も大人だろ。おい。
子供なのか?
あ?
いや、大人ぶってたいんだろうな。
体は大人なのによ。
大人なのによ。
会話がなかなかバカらしくて面白いぞ。
頑張って聞くことにした。
「んで、彼女のパパ頭良いらしくて。青学出て不動産はじめたんだって」
「すごいねー」
「アオガクよアオガク」
またしても笑いそうになった。
アオガクで頭が良いとか言っちゃうんだから、たぶん余程のバカなんだろう。
顔は絶対にニヤニヤしている。
聞かないようにつとめた。
これこそ大人の事情である。
2016年2月10日水曜日
ペンテコステの風が吹く
朝10時ウィーン市内にあるシュテファン教会が鐘を鳴らす。
日曜礼拝の始まりだ合図だ。
市内中央に昔から存在するシュテファン教会。
そこいらの建物とは別格の歴史と雰囲気。
しかし、それに負けじと周りにある石造の家々の風格。
石造りの街の中を鐘の音が力強く駆け抜ける。
遠くからは騒音に近く、近くは鐘がねの音色と音の大きさで遠くなる。
質的研究とは、そういう、たとえるなら一人の人間だけの波長に主眼を置いて見、量的研究は鐘の騒音の周波数をデータで出すのだろう。
ガランゴロンディンガランゴロンディン
教会の塔を見上げると、青い空。
聖霊はみえない。
ドアの前には恐いワンワンと可愛いワンワンが一杯いて。
可愛いワンワンは恐い警察犬握っていた。
そして二台の外国車(BMとベンツ)。
中に入り、待っていると鐘が鳴りやみ、賛美歌とパイプオルガンの音が響き始めた。
ろうそくをもった少年少女、それに囲まれるようにしている偉い人たちがやってきた。
司祭入場である。
今日は聖霊降臨祭。
普通の日曜日と訳が違う。
イエスが復活し昇天したあとに集まり祈っていた120人の信者の上に聖霊が降り立ったという、聖書の話を記念しての礼拝である。
ドイツ語でミサが始まる。
父と子と聖霊の皆によって アーメン。の抑揚の仕方は世界共通のようだ。
突然、司祭が英語でこういった。「.we have a special guest today. ダライラマ」。
ダライラマだけだった。イスラム教の偉い人も来て、平和とは何かを議論するのではなく、最近ヨーロッパにいるダライラマがたまたま来ていたようだ。
賛美歌が次々流れ、司祭は何か言う度にアーメン。
ダライラマのお言葉を待っていると、彼は帰っていった。
教会を出た。
お土産を買って空港へ向かい、アムステルダムへ。
機上から街を見る。
ヨーロッパの広大な平野の中に無駄な箇所が無い。
林や森をあまり見かけることはなく、農地と家。
そしてたまに街。
ドナウ川が流れ、その水を生活の糧としている人々がいた。
もう彼らは何代もそういう生活をしていたのだろう。
整頓された大地の上を行く。
日本上空とは整頓の意味があいが違う。
日本人には自由の意味合いをよくよく考えて貰いたい。。
アムステルダムに着く。
ホテルに到着後近くのお店でコーヒーを飲み、窓辺の席にはペンテコステの風が吹いていた。
日曜礼拝の始まりだ合図だ。
市内中央に昔から存在するシュテファン教会。
そこいらの建物とは別格の歴史と雰囲気。
しかし、それに負けじと周りにある石造の家々の風格。
石造りの街の中を鐘の音が力強く駆け抜ける。
遠くからは騒音に近く、近くは鐘がねの音色と音の大きさで遠くなる。
質的研究とは、そういう、たとえるなら一人の人間だけの波長に主眼を置いて見、量的研究は鐘の騒音の周波数をデータで出すのだろう。
ガランゴロンディンガランゴロンディン
教会の塔を見上げると、青い空。
聖霊はみえない。
ドアの前には恐いワンワンと可愛いワンワンが一杯いて。
可愛いワンワンは恐い警察犬握っていた。
そして二台の外国車(BMとベンツ)。
中に入り、待っていると鐘が鳴りやみ、賛美歌とパイプオルガンの音が響き始めた。
ろうそくをもった少年少女、それに囲まれるようにしている偉い人たちがやってきた。
司祭入場である。
今日は聖霊降臨祭。
普通の日曜日と訳が違う。
イエスが復活し昇天したあとに集まり祈っていた120人の信者の上に聖霊が降り立ったという、聖書の話を記念しての礼拝である。
ドイツ語でミサが始まる。
父と子と聖霊の皆によって アーメン。の抑揚の仕方は世界共通のようだ。
突然、司祭が英語でこういった。「.we have a special guest today. ダライラマ」。
ダライラマだけだった。イスラム教の偉い人も来て、平和とは何かを議論するのではなく、最近ヨーロッパにいるダライラマがたまたま来ていたようだ。
賛美歌が次々流れ、司祭は何か言う度にアーメン。
ダライラマのお言葉を待っていると、彼は帰っていった。
教会を出た。
お土産を買って空港へ向かい、アムステルダムへ。
機上から街を見る。
ヨーロッパの広大な平野の中に無駄な箇所が無い。
林や森をあまり見かけることはなく、農地と家。
そしてたまに街。
ドナウ川が流れ、その水を生活の糧としている人々がいた。
もう彼らは何代もそういう生活をしていたのだろう。
整頓された大地の上を行く。
日本上空とは整頓の意味があいが違う。
日本人には自由の意味合いをよくよく考えて貰いたい。。
アムステルダムに着く。
ホテルに到着後近くのお店でコーヒーを飲み、窓辺の席にはペンテコステの風が吹いていた。
2016年2月9日火曜日
NYC住宅事情
アメリカ合衆国ニューヨーク州にあるニューヨークシティ。
通称NYC。
マンハッタン島にあるこの街は多くの人々を引き寄せる。
観光や仕事で訪れたことがある人も多いと思う。
タイムズスクエアやウォール街、五番街など名所は沢山ある。
日系の企業も数多くある。
広いアメリカは西海岸と東海岸、南部、中西部と分けられる。
東海岸の代表的な都市の一つがニューヨークと言えるだろう。
ニューヨーク州とニューヨークシティは、雲泥の差がある。
ニューヨークシティは都心であり、銀行家が活動するシティでもあり、そこを離れると結構な田舎だ。
このシティ、歴史的には500年くらいと短い。
しかし随分前に発展をしてしまい、以来抜本的な改革もしていないから住宅状況は決行酷い。
再開発をする暇も無い、と言った方が良いのだろうか。
建物が古いというのも、なかなか考え物だ。
古い建物は水道が通っているモノの、水道管が細いようで水圧があまり高くない。
水圧の弱いシャワーでシャンプーを流すのは一苦労する。
エアコンも窓にはめ込んで取り付けるタイプのモノになる。
小型で効率が良いようにも見える。
日本でも販売したらどうだろうか。
壁に穴を開けなくても済むという事なのだろうが、それは同時に換気扇がないということも意味する。
辛ラーメンを作ると、部屋中に凄い匂いが広がる。
トイレも換気口は、あるにはあるが、ファンが付いてない。
理論上風は通るかもしれないが、風呂上がりなど湿気対策は別に取る必要がある。
決して住めないレベルではない。
が、これで月々2000ドル以上する。
似たような物件を東京の都心で探すことは、関東大震災、東京大空襲などあり罹災した家屋が多いため、難しいと思う。
新宿に月三万の風呂無し鍵無し畳の一間という物件があるらしいが、都内で20万くらい物件は、もっと近代的な建物で絶対にマシなはずである。
都内の20万ほどの物件を借りるには、おそらく月々4000ドル位出す必要があるだおる。
NYCの安い物件でも1500ドルほどのがあるが、治安上の懸念がある。
newyork crime mapというグーグルで検索すると、犯罪の発生データが地図上で表示するサイトが出てくる。
一番悪いのは、ダウンタウンだが、悪いところは家賃が安いところだ。
安いところは、80年代90年代はもっと酷く最近は良くなってきたらしいが、東京と比べると治安が悪い。
また再開発されたビルが公営住宅だったりして、低所得者に月々5ドルで貸し出されている。
先日、NYCであった射撃事件も犯人が公営住宅に逃げ込んで自殺したという事件だった。
所得と犯罪率は関係あると言うが、気になるのは低所得者の犯罪は低所得者の住む地域で起きているという事だ。
道一本挟んで、高級住宅地という場所がある。
悪さをする奴らは、この道をまたがずに、ホームで悪さをする。
高級住宅地に住むにしろ、安いところに住むにしろ、アパートを借りるには、収入を証明する必要がある。
月々の家賃の二倍から三倍が必要となる。
そうなってくると、なんだかもうよく分からなくなる。
ある程度収入があるのに、ぼろいアパートをふっかけられて、危険と隣り合わせ。
一軒家を借りたかったら、となりのニュージャージで借りるという方法もある。
マンハッタンに住むことにこだわらないなら、これも一つの方法だろう。
東京に住まずに川崎に住むのと似ている。
通称NYC。
マンハッタン島にあるこの街は多くの人々を引き寄せる。
観光や仕事で訪れたことがある人も多いと思う。
タイムズスクエアやウォール街、五番街など名所は沢山ある。
日系の企業も数多くある。
広いアメリカは西海岸と東海岸、南部、中西部と分けられる。
東海岸の代表的な都市の一つがニューヨークと言えるだろう。
ニューヨーク州とニューヨークシティは、雲泥の差がある。
ニューヨークシティは都心であり、銀行家が活動するシティでもあり、そこを離れると結構な田舎だ。
このシティ、歴史的には500年くらいと短い。
しかし随分前に発展をしてしまい、以来抜本的な改革もしていないから住宅状況は決行酷い。
再開発をする暇も無い、と言った方が良いのだろうか。
建物が古いというのも、なかなか考え物だ。
古い建物は水道が通っているモノの、水道管が細いようで水圧があまり高くない。
水圧の弱いシャワーでシャンプーを流すのは一苦労する。
エアコンも窓にはめ込んで取り付けるタイプのモノになる。
小型で効率が良いようにも見える。
日本でも販売したらどうだろうか。
壁に穴を開けなくても済むという事なのだろうが、それは同時に換気扇がないということも意味する。
辛ラーメンを作ると、部屋中に凄い匂いが広がる。
トイレも換気口は、あるにはあるが、ファンが付いてない。
理論上風は通るかもしれないが、風呂上がりなど湿気対策は別に取る必要がある。
決して住めないレベルではない。
が、これで月々2000ドル以上する。
似たような物件を東京の都心で探すことは、関東大震災、東京大空襲などあり罹災した家屋が多いため、難しいと思う。
新宿に月三万の風呂無し鍵無し畳の一間という物件があるらしいが、都内で20万くらい物件は、もっと近代的な建物で絶対にマシなはずである。
都内の20万ほどの物件を借りるには、おそらく月々4000ドル位出す必要があるだおる。
NYCの安い物件でも1500ドルほどのがあるが、治安上の懸念がある。
newyork crime mapというグーグルで検索すると、犯罪の発生データが地図上で表示するサイトが出てくる。
一番悪いのは、ダウンタウンだが、悪いところは家賃が安いところだ。
安いところは、80年代90年代はもっと酷く最近は良くなってきたらしいが、東京と比べると治安が悪い。
また再開発されたビルが公営住宅だったりして、低所得者に月々5ドルで貸し出されている。
先日、NYCであった射撃事件も犯人が公営住宅に逃げ込んで自殺したという事件だった。
所得と犯罪率は関係あると言うが、気になるのは低所得者の犯罪は低所得者の住む地域で起きているという事だ。
道一本挟んで、高級住宅地という場所がある。
悪さをする奴らは、この道をまたがずに、ホームで悪さをする。
高級住宅地に住むにしろ、安いところに住むにしろ、アパートを借りるには、収入を証明する必要がある。
月々の家賃の二倍から三倍が必要となる。
そうなってくると、なんだかもうよく分からなくなる。
ある程度収入があるのに、ぼろいアパートをふっかけられて、危険と隣り合わせ。
一軒家を借りたかったら、となりのニュージャージで借りるという方法もある。
マンハッタンに住むことにこだわらないなら、これも一つの方法だろう。
東京に住まずに川崎に住むのと似ている。
2016年2月8日月曜日
Indexed Databaseの使い方 03
Indexed Databaseについての第三番目の記事になります。
正直ここまで書いて、後悔してます。
なんでかって?
あまり準備もせずに書いてるからです。
読者の皆様は、実際に動く例を見せてくれって思ってるかもしれません。
見せたいのも山々ですが、JavaScriptを独学で作ったので、非常に醜く、見せるのは恥ずかしいコードでして。
だからといって、この記事のために1からプログラム書くには、まだJavaScriptとjQuery勉強途中で微妙です。
ごめんね。
見たい方はコメント残して下さい。
読みにくいですよ。
前回までのおさらい。
var dbName = "databasename";
var dbVersion = 1;
var indexedDB = window.indexedDB || window.webkitindexedDB || window.mozIndexedDB;
var request = indexedDB.open(dbName,dbVersion);
正直ここまで書いて、後悔してます。
なんでかって?
あまり準備もせずに書いてるからです。
読者の皆様は、実際に動く例を見せてくれって思ってるかもしれません。
見せたいのも山々ですが、JavaScriptを独学で作ったので、非常に醜く、見せるのは恥ずかしいコードでして。
だからといって、この記事のために1からプログラム書くには、まだJavaScriptとjQuery勉強途中で微妙です。
ごめんね。
見たい方はコメント残して下さい。
読みにくいですよ。
前回までのおさらい。
var dbName = "databasename";
var dbVersion = 1;
var indexedDB = window.indexedDB || window.webkitindexedDB || window.mozIndexedDB;
var request = indexedDB.open(dbName,dbVersion);
request.onupgradeneeded() = function(event){
var db = event.target.result;
var objectStore = db.createObjectStore("objectstorename",{keyPath:"key"})
objectStore.createIndex("firstIndex","firstIndexKeyPath");
objectStore.add({firstIndexKeyPath:"firstIndexのバリュー",key:"キーのバリュー"})
}
request.onsuccess()=function(){
var db = event.target.result;
var transaction = db.transaction("objectstorename", "readwrite");
var objectStore = transaction.objectStore("objectstorename");
objectStore.add({firstIndexKeyPath:"firstIndexのバリュー",key:"キーのバリュー"});
transaction.oncomplete=function(event){
alert("追加完了");
}
transaction.onerror = function(event) {
alert ('追加失敗.');
}
db.close()
}
重ねて申し上げますが、Indexed DBの開発にはサーバーが必要です。
では、インストールされたDBを見てみましょう。
Google Chrome、FirefoxまたはOperaを使いましょう。
こんな記事書いていて、言うのもなんですが、Indexed DBはまだ使い物にならないので、システムのアーキテクチャー考え直した方が良いと思いますよ。
Google Chrome、Operaの場合はデベロッパーツールを開きます。
そして、開いたツールのResourcesをクリックします。
Firefoxの場合、Web Consoleですね。
Cookiesとか、Session Storage、Local Storageとかと一緒にIndexed DBというのがあると思います。
Indexed DBを開くと、データベースがあると思います。
なかったら、インストール出来てないか、ドメインが違う場合があります。
データベースをクリックするとObjectStoreがあります。
なかったら、上手くインストール出来てません。
その場合は、Versionをあげてonupgradeneededで再設定するか、データベースファイルを消して再インストールする必要があります。
データベースのファイルは環境によって違いますが、各ブラウザのプロファイルディレクトリーの下にあります。
各ObjectStoreを開いてみましょう。
db.createObjectStore("objectstorename",{keyPath:"key"})で作ったものです。
ObjectStore自体が、KeyValueペアのデータ構造を持っています。
ObjectStoreのKeyはKeyPathで指定したKeyです。
各ObjectStoreの下に、各Indexがあります。
この各IndexはValueのIndexになります。
もし、ObjectStore内のデータがkey:{date: "2016-02-14", firstIndex:"pugera",secondIndex: "warosu"}という連想配列だったとします。
このObjectStoreに、インデックスを付けます。
objectStore.createIndex("firstIndex","firstIndexKey");
objectStore.createIndex("secondIndex","secondIndexKey");
こうすることで、keyはもちろんのこと、firstIndexまたはsecondIndexを使って、該当のデータにアクセスすることができます。
この場合、dateのインデックスは付けていないので、dateでデータを参照する事は出来ません。
ObjectStoreのKeyPathを使ったアクセスの方法は、
この場合、dateのインデックスは付けていないので、dateでデータを参照する事は出来ません。
ObjectStoreのKeyPathを使ったアクセスの方法は、
request.onsuccess()=function(){//まずDBとの接続をして
var db = event.target.result;//DBを見つけて
var transaction = db.transaction("objectstorename", "readwrite");//ObjectStoreとの接続方法を指定し、
var objectStore = transaction.objectStore("objectstorename");//ObjectStoreを指定する。
var objectRequest = objectStore.get("key")//KeyPathのバリュー
//indexを用いる場合は
var findex = objectStore.index('firstIndex');
var firstRequest = findex.key('pugera')
var sindex = objectStore.index('secondIndex');
var secondRequest = findex.key('warosu');
};
こんな感じになります。
長くなったので、今回はこの辺で。
2016年2月7日日曜日
Firefox OS終了のお知らせ
スマートフォン向けのOSの新星として期待されていたFirefox OSの開発が終了するそうです。
残念というか、なんというか。
なんだかなぁ、って感じですが、賢明な判断だと思います。
もう少し、せめてWindows10が出る前に普及しちゃえばよかったかもしれませんが、Win10が無料で攻めている所に、攻め込んでいくのもアレですからね。
Ubuntu Phoneはどうなるんでしょうかね。
Mozillaも諦めたわけでは無くて、IoT向けにOSの開発を進めるとかで。
どうしてもOS作りたいんですね。
ラズパイに乗っけられるOS枠を狙うんですかね。
オープンソースソフトウェア同士の苛烈なパイの奪いになるのかな?
リナックスもMozillaも仲良くしようよ。
でも、そうだよなぁ。
HTML5とJavaScriptでプログラムを組めるようするのだろうから、ややこしいLinuxの事とか省略できるなら、それはそれで大きなアドバンテージなのかも知れないね。
インフォメーションテクノロジーの世界は今日も発展の毎日ですなぁ。
Firefox OS搭載の携帯がauから出ていましたね。
飛びつかなくてよかったぁ。
出たとき迷った。
けどね、学んだんですよ。
早すぎても良いことないって。
Androidの最初の端末G1に飛びついた過去があります。
ってのもiPhoneじゃフラッシュ対応して無くて、Travianっていうブラゲが出来ないから、っていう理由でね。
実際に携帯でやってみると、もっさり重たくて使い物にならない。
最初はまっとうなアプリがなかった。
そして、色々なアプリが1年くらいして出てきた。
新しいアプリはOSのバージョンが2以上とかになってた。
そして、OSのバージョンアップが1.6以上にならなくて、プゲラって事になった。
そのころモトローラから新しい機種が出てて、とても悔しい思いをした。
iPad初期も飛びついた事をここで告白しておこう。
もちろん、今思うとプゲラだと思う。
なんでかって?
まず、第一に云いたいのはアプリのなさ。
そして、1年くらいしたらアプリがそろってきた。
新しいiPadが出てきて、新しいOSが出てくる。
iOS5からアップデート出来ないって、何よ。
アプリがOSに対応してないって何よ。
初期の製品ってテスト段階がある程度終わった完成版ベータだって事に気がついてしまったんだよね。
その後お客から色々とクレームなりレビューが出て、それを反映した製品が出てくる。
その中で、初期の色々のなモノが切り捨てられていく。
切り捨てられていく製品を買ったユーザーって、何ですかね。
そういう経緯があって、新製品には飛びつかない事にした。
ちょっと遅いくらいが良いんだよね。
スレッガー中尉じゃないけどさ、MAYA段階ってのがあって、(Most Advanced Yet Acceptable)、ギリギリのラインを行くなら、僕の場合ちょっと遅くした方が良いって経験を通して学んだ。
プログラムが出来なかった当時、ただのコンスーマーだったから、こういうプゲラが起きたのだろう。
もし、出来ていたなら、アプリがないことを良いことに初期のマーケットにグイグイ行けたかもしれない。
がしかし、グイグイ行ったところでFirefoxOSアプリをグイグイ作ったところで、OSが終了したらプゲラだ。
あー、Ubuntu Phoneが気になるなぁ・・・
残念というか、なんというか。
なんだかなぁ、って感じですが、賢明な判断だと思います。
もう少し、せめてWindows10が出る前に普及しちゃえばよかったかもしれませんが、Win10が無料で攻めている所に、攻め込んでいくのもアレですからね。
Ubuntu Phoneはどうなるんでしょうかね。
Mozillaも諦めたわけでは無くて、IoT向けにOSの開発を進めるとかで。
どうしてもOS作りたいんですね。
ラズパイに乗っけられるOS枠を狙うんですかね。
オープンソースソフトウェア同士の苛烈なパイの奪いになるのかな?
リナックスもMozillaも仲良くしようよ。
でも、そうだよなぁ。
HTML5とJavaScriptでプログラムを組めるようするのだろうから、ややこしいLinuxの事とか省略できるなら、それはそれで大きなアドバンテージなのかも知れないね。
インフォメーションテクノロジーの世界は今日も発展の毎日ですなぁ。
Firefox OS搭載の携帯がauから出ていましたね。
飛びつかなくてよかったぁ。
出たとき迷った。
けどね、学んだんですよ。
早すぎても良いことないって。
Androidの最初の端末G1に飛びついた過去があります。
ってのもiPhoneじゃフラッシュ対応して無くて、Travianっていうブラゲが出来ないから、っていう理由でね。
実際に携帯でやってみると、もっさり重たくて使い物にならない。
最初はまっとうなアプリがなかった。
そして、色々なアプリが1年くらいして出てきた。
新しいアプリはOSのバージョンが2以上とかになってた。
そして、OSのバージョンアップが1.6以上にならなくて、プゲラって事になった。
そのころモトローラから新しい機種が出てて、とても悔しい思いをした。
iPad初期も飛びついた事をここで告白しておこう。
もちろん、今思うとプゲラだと思う。
なんでかって?
まず、第一に云いたいのはアプリのなさ。
そして、1年くらいしたらアプリがそろってきた。
新しいiPadが出てきて、新しいOSが出てくる。
iOS5からアップデート出来ないって、何よ。
アプリがOSに対応してないって何よ。
初期の製品ってテスト段階がある程度終わった完成版ベータだって事に気がついてしまったんだよね。
その後お客から色々とクレームなりレビューが出て、それを反映した製品が出てくる。
その中で、初期の色々のなモノが切り捨てられていく。
切り捨てられていく製品を買ったユーザーって、何ですかね。
そういう経緯があって、新製品には飛びつかない事にした。
ちょっと遅いくらいが良いんだよね。
スレッガー中尉じゃないけどさ、MAYA段階ってのがあって、(Most Advanced Yet Acceptable)、ギリギリのラインを行くなら、僕の場合ちょっと遅くした方が良いって経験を通して学んだ。
プログラムが出来なかった当時、ただのコンスーマーだったから、こういうプゲラが起きたのだろう。
もし、出来ていたなら、アプリがないことを良いことに初期のマーケットにグイグイ行けたかもしれない。
がしかし、グイグイ行ったところでFirefoxOSアプリをグイグイ作ったところで、OSが終了したらプゲラだ。
あー、Ubuntu Phoneが気になるなぁ・・・
ラベル:
Firefox OS,
スマホ,
プログラミング
2016年2月6日土曜日
眠くなる波長
はっきり申し上げましょう。
私にとって、プログラミングは趣味であり食い扶持です。
私が一番にやっていることは、人間の研究であると思っています。
人間というのは面白い。というのは、デスノートの死に神さんの言葉でもありますが、私も人間は面白いと思います。
世界の法則に反した人間界のルールというのがあったり、人間界のルールに反した世界の法則があったりと、なにかと人間で居る限り、人間の苦労は多いかと思う所存です。
人間の携帯の一つである乳幼児、通称赤ちゃん。
かわいいですねぇ。私自身が幼いときは、うるさい喧しい存在と思っていましたが、赤ちゃんってのはうるさい喧しい存在だと認識すると、それ自体がかわいらしく思えてきますね。
赤ちゃんも同じ人間ですから、その扱いは礼に適っているべきだと私は思っています。
「ガンを飛ばした」などと言って、かかと落としやら何やら、暴行を加えて三歳の男の子が殺された事件が最近ありましたが、加害者の心の闇の深さに鳥肌が立ちましたね。
家庭内暴力と妊娠中絶は相関関係があるそうで、破壊的な何かが影響しているのではないかと睨んでおります。
私はそれを気と考えていて、波長も気の一種だし、心も気の一種だし、太陽も気の一種だし、人間も気の一種だと。
とある人間Aという気に、Xという気が絡み合い共感すると、何かが起きる。
そういう風に、人間を研究というか、人間を観て生活しています。
なので、心理学、社会学、人類学、宗教学、地理学、地学、化学、生物学、物理学等々、よろずの学問の論文や本を読み勉強している次第です。
先日、誰の本だったかなぁ。
苫米地英人博士の本だったと思いますが、本の題名は失念しました。
人間が眠くなる波長というか、眠くなる振動の話を本で読みました。
1/fゆらぎ、という周波数があるそうです。
パワーが周波数fに反比例するから、こういう呼び名だそうです。
私にはどういう仕組みか分かりませんが。
1980年にミズーリ大学の物理学者ピーターハンデル博士によって提唱され、1987年に異論を唱える論文が出て、いまも物議を醸している理論です。
1/fゆらぎは、ピンクノイズとも呼ばれています。
博士によると、宇宙の至る物象に1/fを観測できるとのこと。
つまり、この事から考えると、総てのモノに含まれているが故に、波長が合うということになります。
共感、ハーモナイズ、するには非常に持って来いな波長だと言う話になります。
このピンクノイズを用いて、おそらくですが、やる気を出す事も可能かと思います。
同時に、リラックスも可能だと思います。
気次第だと思います。
赤ちゃんが、なかなか寝付かない。
そういう時は、この1/fゆらぎを用いてみたらどうでしょう。
という事でやってみた。
ぐずってたのに、10分もしたら完全に寝付いちゃう。
なんだ、これ。
と驚いています。
今日試したので、なんとも言えませんがね。
もう少しやってみるつもりです。
一つ言えることは、私自身が作りだした振動が1/fゆらぎかどうかを測定できないということです。
ただ、なんとなく、自分自身のゆっくりとしたリズムを体現しただけなんですが、そんなんで寝付いたので、びっくりしてます。
不眠症の大人は、どうすればいいでしょうね。
誰かに抱っこしてもらって、揺さぶってもらえばいいんでしょうか笑
私にとって、プログラミングは趣味であり食い扶持です。
私が一番にやっていることは、人間の研究であると思っています。
人間というのは面白い。というのは、デスノートの死に神さんの言葉でもありますが、私も人間は面白いと思います。
世界の法則に反した人間界のルールというのがあったり、人間界のルールに反した世界の法則があったりと、なにかと人間で居る限り、人間の苦労は多いかと思う所存です。
人間の携帯の一つである乳幼児、通称赤ちゃん。
かわいいですねぇ。私自身が幼いときは、うるさい喧しい存在と思っていましたが、赤ちゃんってのはうるさい喧しい存在だと認識すると、それ自体がかわいらしく思えてきますね。
赤ちゃんも同じ人間ですから、その扱いは礼に適っているべきだと私は思っています。
「ガンを飛ばした」などと言って、かかと落としやら何やら、暴行を加えて三歳の男の子が殺された事件が最近ありましたが、加害者の心の闇の深さに鳥肌が立ちましたね。
家庭内暴力と妊娠中絶は相関関係があるそうで、破壊的な何かが影響しているのではないかと睨んでおります。
私はそれを気と考えていて、波長も気の一種だし、心も気の一種だし、太陽も気の一種だし、人間も気の一種だと。
とある人間Aという気に、Xという気が絡み合い共感すると、何かが起きる。
そういう風に、人間を研究というか、人間を観て生活しています。
なので、心理学、社会学、人類学、宗教学、地理学、地学、化学、生物学、物理学等々、よろずの学問の論文や本を読み勉強している次第です。
先日、誰の本だったかなぁ。
苫米地英人博士の本だったと思いますが、本の題名は失念しました。
人間が眠くなる波長というか、眠くなる振動の話を本で読みました。
1/fゆらぎ、という周波数があるそうです。
パワーが周波数fに反比例するから、こういう呼び名だそうです。
私にはどういう仕組みか分かりませんが。
1980年にミズーリ大学の物理学者ピーターハンデル博士によって提唱され、1987年に異論を唱える論文が出て、いまも物議を醸している理論です。
1/fゆらぎは、ピンクノイズとも呼ばれています。
博士によると、宇宙の至る物象に1/fを観測できるとのこと。
つまり、この事から考えると、総てのモノに含まれているが故に、波長が合うということになります。
共感、ハーモナイズ、するには非常に持って来いな波長だと言う話になります。
このピンクノイズを用いて、おそらくですが、やる気を出す事も可能かと思います。
同時に、リラックスも可能だと思います。
気次第だと思います。
赤ちゃんが、なかなか寝付かない。
そういう時は、この1/fゆらぎを用いてみたらどうでしょう。
という事でやってみた。
ぐずってたのに、10分もしたら完全に寝付いちゃう。
なんだ、これ。
と驚いています。
今日試したので、なんとも言えませんがね。
もう少しやってみるつもりです。
一つ言えることは、私自身が作りだした振動が1/fゆらぎかどうかを測定できないということです。
ただ、なんとなく、自分自身のゆっくりとしたリズムを体現しただけなんですが、そんなんで寝付いたので、びっくりしてます。
不眠症の大人は、どうすればいいでしょうね。
誰かに抱っこしてもらって、揺さぶってもらえばいいんでしょうか笑
2016年2月5日金曜日
時間の概念
時間。
認識させられる訓練を受けたら、もうそこから抜け出せない。
人類の偉大な発見は火より時間の概念ではないだろうか。
火は見えるが、時間は見えない。
考える事によって、概念が出来、その概念の上に様々な概念が被さる。
他の動物はこれが出来ているのだろうか。
火は見え、あつい。
いやでも認識する。
認識しなかったら火事だ。
しかし、時間はどうだろう。
たしかに時は流れる。
子供は大きくなっていくし、水は上から下へ落ちる、元素は崩壊する。
しかし、それは変化を捉えただけの事では無いか。
時間という概念が発見され、色々な概念があり、そこに空想が生まれる。
時間が止まったら、水も上から下へと落ちないし、子供も大人にならないし、元素は崩壊しないと。
日が昇り、月が昇る。
そういう物であると、思っていたならば、時間の存在には気がつかない。
とあるサイクルがあるな、と情報を記憶を覚えてきた者は気づくだろう。
毎夜毎夜、空の星空の模様がかわり、景色も変わり、天候にも傾向があると気づく。
気づいた者だけの世界であった。
はたして、どういうことであろうと、気になった狩りに出る必要のなくなった、働かない無産階級の連中は、それがどういったサイクルで行われているかを考え始めたのでは無いだろうか。
月の満ち欠けを、何回日が昇ったかを数えたのでは無いだろうか。
そして、その変化から、万物が変化していく様を感じ取ったのだろう。
つまり、時間とは変化を感じる事では無かったのだろうか。
それが積もり積もって、この近代社会。
我々は最初に時間の概念を覚え込まされる。時計を渡されて。
昨日にもどったみたーい。
昨日って何だ?と聞いたら、昨日は昨日でしょ。そんなこともしらないの?
と言われてしまいそうだ。
世界が決めたカレンダーにただ従っているだけ。
昨日に戻ったみたいという言葉は、つまり、なんら変化していない。
と、ごくわずかな変化に気づかない連中が言う言葉だ。
化粧も違うし、体調も違う、生理がきたかもしれない。
変化を表示するのに時計(数量)は使われていると、言っても過言では無いだろう。
変化を認識しなければ、時間の概念は存在しない。
なのだが、近代においては、時間は時間として、そのまま覚え込まされる。
その社会のルールにずーっと従い、間違いを犯さなければよい。
変化に気づかないのに時間に追われる。
一年という枠組みが終わったら二年生。三年生。四年生。
ドロップアウトと時間。
社会のルールに従えないものをドロップアウトとする。
果たして、一体どこまでなルールなのかは、そのドロップアウトの周りの環境による。
自販機から二個出てきてラッキーと言うだろう。
しかしそれは盗みと認識すれば盗みで親に怒られる。
とある行動の善し悪しを自分とつながりのある社会から判断される。
社会がイヤで、他人が大嫌いで関わりを持ちたくないと願う人間がいるならば、そいつはすべからく社会のルールを無視しまくるだろう。
切れちゃったドロップアウトだ。
明日なんて来て欲しくない。社会を拒絶。変化を目にしないため娯楽漬けか瞑想の世界へと入り込むだろう。
そうではないドロップアウトはどうだろう。
そうした場合、そいつの属する社会を見ないと何とも言えない。
定義によって変わるのでは無いだろうか。
認識させられる訓練を受けたら、もうそこから抜け出せない。
人類の偉大な発見は火より時間の概念ではないだろうか。
火は見えるが、時間は見えない。
考える事によって、概念が出来、その概念の上に様々な概念が被さる。
他の動物はこれが出来ているのだろうか。
火は見え、あつい。
いやでも認識する。
認識しなかったら火事だ。
しかし、時間はどうだろう。
たしかに時は流れる。
子供は大きくなっていくし、水は上から下へ落ちる、元素は崩壊する。
しかし、それは変化を捉えただけの事では無いか。
時間という概念が発見され、色々な概念があり、そこに空想が生まれる。
時間が止まったら、水も上から下へと落ちないし、子供も大人にならないし、元素は崩壊しないと。
日が昇り、月が昇る。
そういう物であると、思っていたならば、時間の存在には気がつかない。
とあるサイクルがあるな、と情報を記憶を覚えてきた者は気づくだろう。
毎夜毎夜、空の星空の模様がかわり、景色も変わり、天候にも傾向があると気づく。
気づいた者だけの世界であった。
はたして、どういうことであろうと、気になった狩りに出る必要のなくなった、働かない無産階級の連中は、それがどういったサイクルで行われているかを考え始めたのでは無いだろうか。
月の満ち欠けを、何回日が昇ったかを数えたのでは無いだろうか。
そして、その変化から、万物が変化していく様を感じ取ったのだろう。
つまり、時間とは変化を感じる事では無かったのだろうか。
それが積もり積もって、この近代社会。
我々は最初に時間の概念を覚え込まされる。時計を渡されて。
昨日にもどったみたーい。
昨日って何だ?と聞いたら、昨日は昨日でしょ。そんなこともしらないの?
と言われてしまいそうだ。
世界が決めたカレンダーにただ従っているだけ。
昨日に戻ったみたいという言葉は、つまり、なんら変化していない。
と、ごくわずかな変化に気づかない連中が言う言葉だ。
化粧も違うし、体調も違う、生理がきたかもしれない。
変化を表示するのに時計(数量)は使われていると、言っても過言では無いだろう。
変化を認識しなければ、時間の概念は存在しない。
なのだが、近代においては、時間は時間として、そのまま覚え込まされる。
その社会のルールにずーっと従い、間違いを犯さなければよい。
変化に気づかないのに時間に追われる。
一年という枠組みが終わったら二年生。三年生。四年生。
ドロップアウトと時間。
社会のルールに従えないものをドロップアウトとする。
果たして、一体どこまでなルールなのかは、そのドロップアウトの周りの環境による。
自販機から二個出てきてラッキーと言うだろう。
しかしそれは盗みと認識すれば盗みで親に怒られる。
とある行動の善し悪しを自分とつながりのある社会から判断される。
社会がイヤで、他人が大嫌いで関わりを持ちたくないと願う人間がいるならば、そいつはすべからく社会のルールを無視しまくるだろう。
切れちゃったドロップアウトだ。
明日なんて来て欲しくない。社会を拒絶。変化を目にしないため娯楽漬けか瞑想の世界へと入り込むだろう。
そうではないドロップアウトはどうだろう。
そうした場合、そいつの属する社会を見ないと何とも言えない。
定義によって変わるのでは無いだろうか。
2016年2月4日木曜日
シアトル発台南の旅
七月四日の独立記念日の日が暮れた頃、僕は家を出た。
バス停でバスを待つ。
その30分の間に花火の音が耳に入り始めた。
そしてわずかに見えた。
バス、市電、飛行機、列車を乗り継ぎ、台南にいる。
軽い気持ちで来た。
しかしよく考えてみたら、言葉も通じない異国の地なのだ。
しかしよくよく考えてみたら、どこにでもある普通な事なのだ。
バスを停留所で待ってる最中、通りすがりの車が叫んだ。
You not gonna go bar?
車に乗ってるのにバー行くのかよ。
市電の駅は、厳戒態勢。
一体この国は何と戦ってるのだろうか。
もっと敵について研究した方がいいぜ、鏡見て。
打って変わって空港は閑散としていた。
午前2時半の便。
0時に空港に着いた。
EVA航空の前だけに列が出来ていた。
チェックインのマシンが無いのだ。
すべて手動。
前の30台の日本人女性。
ハーフの女の子ふたり。幼稚園くらい。
旦那。
やけに荷物が多い。
なんで、台北行きなんだ。
よくわからん。
ん?ちょっとまてよ、どうして指輪をつけていないんだ。
旦那は子供達とハグした後、空港を出て行った。
彼はドアを通る前、こっちを見たが、彼女は見ていなかった。
荷物が多い彼女を手伝ってやるのが筋なのか。
それとも見て見ぬふりをするのが筋なのか。
長い列は少し少し動いていく。
彼女はカート二つ分の荷物とスーツケース人数分もっている。
手伝ったらカートに子供を座らせて手伝わせないという間接的手法をとってきた。
猶然とした。
国際結婚はそんなに優しいもんじゃなかったね。
これから色々と大変だけど、子供達の方が人生長いからね。
そういう風に強がって生きていかないといけないけどさ。
俺の後ろにいたのは、ちょー綺麗なスタイルの良いベトナム女。
30から40のクーガーなんだけど。
カバンはビトン。
携帯はiPhone。
大きいダイヤの結婚指輪に、ダイヤのネックレス。
手首と足首に飾り付け。
メイクもばっちり。
しかも薄着ね。
こういう馬鹿な女もいるんだよね。
飛行機乗るのに薄着かよ。
エコノミーの列に並んでるんだよ。
わかる?
それに比べて、チェックインの対応してくれた台湾人は、不細工だけど可愛かった。
あー言う子よ、結婚するなら。
でゲート抜けて、ボード完了よ。
そしたら病人出て、出発遅れる。
俺眠る。
気がついたら朝食の時間。
中国料理と西洋料理どっちがいい?
という問いに対して、西洋と応えたら、おかゆが出てきた。
おかゆ。すきじゃ無いんだよね。
うまかったけど。
空港で両替した。
桃園国際空港からバスで桃園駅までいく。
税関通り抜けてバス停の方を探していると、おっさんが話しかけてきた。
どこいくか?
えき。
HSRか?
あぁ。
こっちだ。
いや、標識はあっちってさしてるぜ。
あれは嘘だ。
嘘つきは嘘つきを見破る事が可能だ。
チケット購入も面倒だった。
To Taoyuan Station please?
変な顔される。
こっちじゃない、あっちのカウンターだ。
あっちいく、あっちじゃない、そっちだ。
そっちじゃない、こっちだ。
そして、紙に書いて買う。
30ドル。
新幹線の駅にて、チケットを再度買う。
1150ドル。
ここでは英語は通じた。
台南行きの列車に乗る前にセブンイレブンで午後ティーとにぎりめし二個買う。
90ドル。
一時間半ほどで台南に着く。
道中、気づいた。
なんと田舎だろう。
大阪から名古屋までの列車に雰囲気が似ていた。
建物が違うが。
水、田、山、林、家、道路。
台南駅から、さらに台南市内へと電車で移動。
30ドル。
これにはびびった。
え?ここ台南駅じゃねーの。
ググる。違う。
え、まじ。どうするの。
なんとかなった。
ホテルのチェックインが15時。
その時まだ10時。
なにより、あつい。
携帯の電池も少ない。
国立成功大学があるので、大学の図書館で充電しようと中に入る。
図書館、IDがないと入れない。
学生はダンスしてた。
博物館やら、キャンパスやらで時間をつぶしてメシを食った。
鍵の歴史って面白いよ。エジプトが作ったんだけどさ、鍵だぜ。鍵。
おまえ、鍵のこと考えたことあるか?
そー、パスワードも含めてな。
オムライス。90ドル。
そこから孔子廟へ。
孔子廟で、ひとりのおっさんと話す。
黄さん、日本語中国語英語混じりの会話である。
素晴らしい。
孔子廟の話由来から、台湾という存在。
果てには四書の話までになった。
おっさんは、ずーっと台湾にいたそうだ。
それにしても言語が凄い。
たしかに、あれは白人が聞いたら「うん?わかんね?」ってなるかもしれない英語だった。
おっさんはいった。
やってみれば、なんかなるもんだ。
孔子廟でとんだ師に出会ったものだ。
台湾の歴史は鄭成功から始まる。
いらい、中華は俺らだとずーっと騒いでいる。
関帝廟、天后宮、チンカイタワー
それにしても台南、レンガが綺麗な街だ。
はは、皮肉が過ぎるぜ、おい。
その後ホテルに戻り、うんこして、台南公園に。
台南公園で三人組の老人の会話に巻き込まれる。
目が合う、右手人差し指で左腕をたたき今何時のアクションをとりながら、何かわめている。
時計を見せる。18時21分。
こんばんわー。
ですよ。
昭和三年生まれのおじいさん。
最初何言ってるのか、正直台湾語だと思ってた。
そしたら、日本語だった。
あの菩提樹は昭和天皇が皇太子だったときに植えた木だよ。と教えてくれた。
日本は良い国だねぇ。
あの国が作ったものは志那人(ママ)が作ったものより頑丈で良いものを作る。
建物だってそうさ。
そのまま街を歩く。
理由も無く。
ただ、フラフラと。
いつものように。
まいごだから。
バス停でバスを待つ。
その30分の間に花火の音が耳に入り始めた。
そしてわずかに見えた。
バス、市電、飛行機、列車を乗り継ぎ、台南にいる。
軽い気持ちで来た。
しかしよく考えてみたら、言葉も通じない異国の地なのだ。
しかしよくよく考えてみたら、どこにでもある普通な事なのだ。
バスを停留所で待ってる最中、通りすがりの車が叫んだ。
You not gonna go bar?
車に乗ってるのにバー行くのかよ。
市電の駅は、厳戒態勢。
一体この国は何と戦ってるのだろうか。
もっと敵について研究した方がいいぜ、鏡見て。
打って変わって空港は閑散としていた。
午前2時半の便。
0時に空港に着いた。
EVA航空の前だけに列が出来ていた。
チェックインのマシンが無いのだ。
すべて手動。
前の30台の日本人女性。
ハーフの女の子ふたり。幼稚園くらい。
旦那。
やけに荷物が多い。
なんで、台北行きなんだ。
よくわからん。
ん?ちょっとまてよ、どうして指輪をつけていないんだ。
旦那は子供達とハグした後、空港を出て行った。
彼はドアを通る前、こっちを見たが、彼女は見ていなかった。
荷物が多い彼女を手伝ってやるのが筋なのか。
それとも見て見ぬふりをするのが筋なのか。
長い列は少し少し動いていく。
彼女はカート二つ分の荷物とスーツケース人数分もっている。
手伝ったらカートに子供を座らせて手伝わせないという間接的手法をとってきた。
猶然とした。
国際結婚はそんなに優しいもんじゃなかったね。
これから色々と大変だけど、子供達の方が人生長いからね。
そういう風に強がって生きていかないといけないけどさ。
俺の後ろにいたのは、ちょー綺麗なスタイルの良いベトナム女。
30から40のクーガーなんだけど。
カバンはビトン。
携帯はiPhone。
大きいダイヤの結婚指輪に、ダイヤのネックレス。
手首と足首に飾り付け。
メイクもばっちり。
しかも薄着ね。
こういう馬鹿な女もいるんだよね。
飛行機乗るのに薄着かよ。
エコノミーの列に並んでるんだよ。
わかる?
それに比べて、チェックインの対応してくれた台湾人は、不細工だけど可愛かった。
あー言う子よ、結婚するなら。
でゲート抜けて、ボード完了よ。
そしたら病人出て、出発遅れる。
俺眠る。
気がついたら朝食の時間。
中国料理と西洋料理どっちがいい?
という問いに対して、西洋と応えたら、おかゆが出てきた。
おかゆ。すきじゃ無いんだよね。
うまかったけど。
空港で両替した。
桃園国際空港からバスで桃園駅までいく。
税関通り抜けてバス停の方を探していると、おっさんが話しかけてきた。
どこいくか?
えき。
HSRか?
あぁ。
こっちだ。
いや、標識はあっちってさしてるぜ。
あれは嘘だ。
嘘つきは嘘つきを見破る事が可能だ。
チケット購入も面倒だった。
To Taoyuan Station please?
変な顔される。
こっちじゃない、あっちのカウンターだ。
あっちいく、あっちじゃない、そっちだ。
そっちじゃない、こっちだ。
そして、紙に書いて買う。
30ドル。
新幹線の駅にて、チケットを再度買う。
1150ドル。
ここでは英語は通じた。
台南行きの列車に乗る前にセブンイレブンで午後ティーとにぎりめし二個買う。
90ドル。
一時間半ほどで台南に着く。
道中、気づいた。
なんと田舎だろう。
大阪から名古屋までの列車に雰囲気が似ていた。
建物が違うが。
水、田、山、林、家、道路。
台南駅から、さらに台南市内へと電車で移動。
30ドル。
これにはびびった。
え?ここ台南駅じゃねーの。
ググる。違う。
え、まじ。どうするの。
なんとかなった。
ホテルのチェックインが15時。
その時まだ10時。
なにより、あつい。
携帯の電池も少ない。
国立成功大学があるので、大学の図書館で充電しようと中に入る。
図書館、IDがないと入れない。
学生はダンスしてた。
博物館やら、キャンパスやらで時間をつぶしてメシを食った。
鍵の歴史って面白いよ。エジプトが作ったんだけどさ、鍵だぜ。鍵。
おまえ、鍵のこと考えたことあるか?
そー、パスワードも含めてな。
オムライス。90ドル。
そこから孔子廟へ。
孔子廟で、ひとりのおっさんと話す。
黄さん、日本語中国語英語混じりの会話である。
素晴らしい。
孔子廟の話由来から、台湾という存在。
果てには四書の話までになった。
おっさんは、ずーっと台湾にいたそうだ。
それにしても言語が凄い。
たしかに、あれは白人が聞いたら「うん?わかんね?」ってなるかもしれない英語だった。
おっさんはいった。
やってみれば、なんかなるもんだ。
孔子廟でとんだ師に出会ったものだ。
台湾の歴史は鄭成功から始まる。
いらい、中華は俺らだとずーっと騒いでいる。
関帝廟、天后宮、チンカイタワー
それにしても台南、レンガが綺麗な街だ。
はは、皮肉が過ぎるぜ、おい。
その後ホテルに戻り、うんこして、台南公園に。
台南公園で三人組の老人の会話に巻き込まれる。
目が合う、右手人差し指で左腕をたたき今何時のアクションをとりながら、何かわめている。
時計を見せる。18時21分。
こんばんわー。
ですよ。
昭和三年生まれのおじいさん。
最初何言ってるのか、正直台湾語だと思ってた。
そしたら、日本語だった。
あの菩提樹は昭和天皇が皇太子だったときに植えた木だよ。と教えてくれた。
日本は良い国だねぇ。
あの国が作ったものは志那人(ママ)が作ったものより頑丈で良いものを作る。
建物だってそうさ。
そのまま街を歩く。
理由も無く。
ただ、フラフラと。
いつものように。
まいごだから。
2016年2月3日水曜日
温もりを求めて集う夜の蟲
寒いわね。
いやー、季節の変わり目の頃ですね。
もう、この間夏の始まりかなーって思ったら、もうお終いですね。
皆様いかがおすごしでしょうか。
季節の変わり目と言っても、昼間は暑いですね。
パーカー着るには暑いけど、Tシャツ一枚じゃ屋内は寒いって事多いですよね。
だから、黄色いシャツ着て散歩しとったとですよ。
そしたらねー、乳母車に乗った1歳くらいの金髪白人の子がこっちを指さしながら、「アイヤー」って言って。
耳を疑いました。
あんなに純粋そうな子でさえ色で差別をするんだなー、なんて思って悲しくなって。
それだけなら、まだ良いですよ。
その後パイクプレイスでジャム買ったんですよ。
お店の金髪白人のお姉さんが、別れ際に「バイバイ、黄色い人」って。
いや、まいった。
オウム返しで「バイバイ、白い人」って言おうと思ったけど、やめた。
ニコニコしよう。ニコニコ。
その日の夜。
まぁ、夜は明けかけてたんだけど。
寝る前に歯磨いて、口をゆすいでたら「ブーーーーーーーーーーーン」って羽音がして。
元気な蝿だなぁって見たら、黄色いヤツ。
小バエ、蚊、蝿の次にやってきたラスボス。
ムシして寝れば良い。日昇ってるんよ。
なんなら洗面所に閉じ込めてしまえば良い。
そう思って洗面所出てドア締めて。
しかし、それは責任ある行動だろうかと自問自答。
ルームメイトが起きてシャワーを浴びるときに、「アッー!」なんてあったらね。
我々、人間が群生していてそれの理由はこの自然界の中で死ぬまで生きるため。
つまり、アッー!なったら面倒だな。
しかも、使い捨て型黄色いヤツじゃないのよ。
危ないヤツよ。
責任ってのは行動について回る反応の一種で、取るも取らないも無いからね。
ごめんね。
生存競争なんだ。
共生は出来ない。
ドアを少し開ける。
洗面所入る。
びびった。
いないの。
どうする?寝る?
いや、やる。
密室と神経ガス。
なんだ、そういうことか。
5秒ほど噴射。
いやー、季節の変わり目の頃ですね。
もう、この間夏の始まりかなーって思ったら、もうお終いですね。
皆様いかがおすごしでしょうか。
季節の変わり目と言っても、昼間は暑いですね。
パーカー着るには暑いけど、Tシャツ一枚じゃ屋内は寒いって事多いですよね。
だから、黄色いシャツ着て散歩しとったとですよ。
そしたらねー、乳母車に乗った1歳くらいの金髪白人の子がこっちを指さしながら、「アイヤー」って言って。
耳を疑いました。
あんなに純粋そうな子でさえ色で差別をするんだなー、なんて思って悲しくなって。
それだけなら、まだ良いですよ。
その後パイクプレイスでジャム買ったんですよ。
お店の金髪白人のお姉さんが、別れ際に「バイバイ、黄色い人」って。
いや、まいった。
オウム返しで「バイバイ、白い人」って言おうと思ったけど、やめた。
ニコニコしよう。ニコニコ。
その日の夜。
まぁ、夜は明けかけてたんだけど。
寝る前に歯磨いて、口をゆすいでたら「ブーーーーーーーーーーーン」って羽音がして。
元気な蝿だなぁって見たら、黄色いヤツ。
小バエ、蚊、蝿の次にやってきたラスボス。
ムシして寝れば良い。日昇ってるんよ。
なんなら洗面所に閉じ込めてしまえば良い。
そう思って洗面所出てドア締めて。
しかし、それは責任ある行動だろうかと自問自答。
ルームメイトが起きてシャワーを浴びるときに、「アッー!」なんてあったらね。
我々、人間が群生していてそれの理由はこの自然界の中で死ぬまで生きるため。
つまり、アッー!なったら面倒だな。
しかも、使い捨て型黄色いヤツじゃないのよ。
危ないヤツよ。
責任ってのは行動について回る反応の一種で、取るも取らないも無いからね。
ごめんね。
生存競争なんだ。
共生は出来ない。
ドアを少し開ける。
洗面所入る。
びびった。
いないの。
どうする?寝る?
いや、やる。
密室と神経ガス。
なんだ、そういうことか。
5秒ほど噴射。
中に入って確認したいけど、それじゃ俺も虫と同じ運命をたどるかもしれない。
私はベッドに入った。
2016年2月2日火曜日
ぼくらの祖国を読んで
ぼくらの祖国という青山繁晴氏が書いた本が私の本棚から発掘された。
発掘したのは私ではない。家に遊びに来た友達だ。
本棚という海から積み書を救出なさるその姿、まるで海猿のようで。
「ぼくそこはいい。」とおっしゃっていました。
士の言う事に間違いはあるまい、と興味深く拝読したところ、これまたスラスラ読める。難しい事を平易に書いていて非常に面白かった。
青山氏の言わんとすることはまったくその通りであり、胸の中のわだかまりが溶けていく、その彼の言葉の作用を楽しませていただいた。
しかし、唯一、祖国という言葉だけがむなしく響いている。
ぼくらの祖国。
祖国とは祖の国。
僕の祖国か。
移民の僕からすると国境という概念が古い。
僕は祖国という言葉よりも、文化共同体という言葉をあえて使いたい。
祖国という言葉を使った方がイメージしやすいからだ。
アメリカを見ると、やけに集団づくりに合理的で、世界中の人間に適応可能なのだ。
グローバリズムとはつまりは、世界のアメリカ化。
世界のみんなは、移民になる。
皆が祖国を失う。しかし、彼らは彼らの所属する文化共同体に寄って生きていく。
街はなれ
ながれついた
みなとまち
この街の人々の祖国は別にある。
しかし、彼らはアメリカを愛する。
彼らは彼らの所属する自立した永続し得る共同体を愛する。
それは、アメリカ合衆国であったり、母国であったり、家族であったり、宗教であったり、信条であったりする。
人類皆兄弟。
守るべきルールだけ守って、楽しく死にましょう。
そういう考えが非常に合理的で私は好きだ。
感情を発散させて、幸福を感じる事も法律に触れない範囲では、何をしてもよい。
自由の国アメリカ。
ゴミくずが
ながれついた
みなとまち
アメリカは無駄が多い。
2ドルでピザのスライスを買う。チーズが置いてある。
もちろん、振りかけるわけだが、命中せずにパラパラとこぼれる。
こぼれたチーズは塵として世に出て行った。
そのチーズは陸路を大型トラックで運ばれたうえで、塵に対してエネルギーを大量に使ったに等しい。
まぁ、そういう意味で、人間も、これといった事をしない限りは、同じ事である。
日本人の特徴としてあるのは、青山氏も言うように大和魂だ。
武士道とは死ぬことと見つけたり。
さばかりのことに死ぬるや、さばかりの事に生くるや、よせよせ問答。
集団の為に生きるというのが和人のようだ。
いや、集団の調和に努めるのが流行っているのだろう。
好きなところに住む。
そのためには、スキルが必要である。
田舎に住んでも生活していけるスキルである。仕事がないかもしれないが、自分で仕事を作れるならば、それを糧にして生きていけるであろう。
サラリーマンが都会に住む理由は、会社が都会にあるからだ。仕事によって、住むところを縛られるのだ。
次なる移民の時代、日本のような雇用形態―終身雇用―とアメリカのような雇用形態―契約雇用―とでコンフリクトがおきるだろう。
終身雇用、つまり、永遠に、神奈川に住まねばならない。場合によっては転勤だ。
契約雇用、つまり、好きな所に住める。
終身雇用の制度の中では、会社に所属することが給料をもらえる理由なのだ。
契約は、契約に沿って仕事をし、報酬を得る。
だからこそ、アメリカの大学の学部は重要であり、証書も重要なのだ。
職歴・学歴・あなたはどんなファンクションなの?
問題にされることは一緒なのだが、細かい点で差異が少しある。
未来予想。
日本でソフトバンクがサイバー大学というITを中心とした通信制大学を設立した。
ダイエーも大学を作ったことを考えると、時代の寵児は教育に手を出すようだ。
孫正義はインターネットの時代の到来を確実に実現しようとしている。
軍隊で運用されいたマネージメントのシステムを普及させるとともに、新しい価値である情報の運用システムも必要とされた。
クラウドシステムはつまり、世界のいかなる場所、国境に制限されずにインターネットへと接続が出来る環境であれば、ひとつの同じインターネットという空間を通して、ひとつにつながることunifyが出来る。
それはつまり、チベットの塩をネットでアメリカから買う事ができ、UPSですぐに届くような時代の到来の前兆であろう。
つまり、ネットでUnifyしたといえども、現実空間は存在する。
その移動を物流が支え、物流をささえてるのは技術とエネルギーだ。
そして人々は死ぬまで楽しく過ごすのである。
国境の無い時代が来るのに祖国を唱えるのは古いが、和人の精神の点については同意する。
発掘したのは私ではない。家に遊びに来た友達だ。
本棚という海から積み書を救出なさるその姿、まるで海猿のようで。
「ぼくそこはいい。」とおっしゃっていました。
士の言う事に間違いはあるまい、と興味深く拝読したところ、これまたスラスラ読める。難しい事を平易に書いていて非常に面白かった。
青山氏の言わんとすることはまったくその通りであり、胸の中のわだかまりが溶けていく、その彼の言葉の作用を楽しませていただいた。
しかし、唯一、祖国という言葉だけがむなしく響いている。
ぼくらの祖国。
祖国とは祖の国。
僕の祖国か。
移民の僕からすると国境という概念が古い。
僕は祖国という言葉よりも、文化共同体という言葉をあえて使いたい。
祖国という言葉を使った方がイメージしやすいからだ。
アメリカを見ると、やけに集団づくりに合理的で、世界中の人間に適応可能なのだ。
グローバリズムとはつまりは、世界のアメリカ化。
世界のみんなは、移民になる。
皆が祖国を失う。しかし、彼らは彼らの所属する文化共同体に寄って生きていく。
街はなれ
ながれついた
みなとまち
この街の人々の祖国は別にある。
しかし、彼らはアメリカを愛する。
彼らは彼らの所属する自立した永続し得る共同体を愛する。
それは、アメリカ合衆国であったり、母国であったり、家族であったり、宗教であったり、信条であったりする。
人類皆兄弟。
守るべきルールだけ守って、楽しく死にましょう。
そういう考えが非常に合理的で私は好きだ。
感情を発散させて、幸福を感じる事も法律に触れない範囲では、何をしてもよい。
自由の国アメリカ。
ゴミくずが
ながれついた
みなとまち
アメリカは無駄が多い。
2ドルでピザのスライスを買う。チーズが置いてある。
もちろん、振りかけるわけだが、命中せずにパラパラとこぼれる。
こぼれたチーズは塵として世に出て行った。
そのチーズは陸路を大型トラックで運ばれたうえで、塵に対してエネルギーを大量に使ったに等しい。
まぁ、そういう意味で、人間も、これといった事をしない限りは、同じ事である。
日本人の特徴としてあるのは、青山氏も言うように大和魂だ。
武士道とは死ぬことと見つけたり。
さばかりのことに死ぬるや、さばかりの事に生くるや、よせよせ問答。
集団の為に生きるというのが和人のようだ。
いや、集団の調和に努めるのが流行っているのだろう。
好きなところに住む。
そのためには、スキルが必要である。
田舎に住んでも生活していけるスキルである。仕事がないかもしれないが、自分で仕事を作れるならば、それを糧にして生きていけるであろう。
サラリーマンが都会に住む理由は、会社が都会にあるからだ。仕事によって、住むところを縛られるのだ。
次なる移民の時代、日本のような雇用形態―終身雇用―とアメリカのような雇用形態―契約雇用―とでコンフリクトがおきるだろう。
終身雇用、つまり、永遠に、神奈川に住まねばならない。場合によっては転勤だ。
契約雇用、つまり、好きな所に住める。
終身雇用の制度の中では、会社に所属することが給料をもらえる理由なのだ。
契約は、契約に沿って仕事をし、報酬を得る。
だからこそ、アメリカの大学の学部は重要であり、証書も重要なのだ。
職歴・学歴・あなたはどんなファンクションなの?
問題にされることは一緒なのだが、細かい点で差異が少しある。
未来予想。
日本でソフトバンクがサイバー大学というITを中心とした通信制大学を設立した。
ダイエーも大学を作ったことを考えると、時代の寵児は教育に手を出すようだ。
孫正義はインターネットの時代の到来を確実に実現しようとしている。
軍隊で運用されいたマネージメントのシステムを普及させるとともに、新しい価値である情報の運用システムも必要とされた。
クラウドシステムはつまり、世界のいかなる場所、国境に制限されずにインターネットへと接続が出来る環境であれば、ひとつの同じインターネットという空間を通して、ひとつにつながることunifyが出来る。
それはつまり、チベットの塩をネットでアメリカから買う事ができ、UPSですぐに届くような時代の到来の前兆であろう。
つまり、ネットでUnifyしたといえども、現実空間は存在する。
その移動を物流が支え、物流をささえてるのは技術とエネルギーだ。
そして人々は死ぬまで楽しく過ごすのである。
国境の無い時代が来るのに祖国を唱えるのは古いが、和人の精神の点については同意する。
2016年2月1日月曜日
Indexed Databaseの使い方 02
前回の記事では、Indexed DBの作成の仕方を説明しました。
今回の記事では、作成したデータベースにデータを入れていきます。
var dbName = "databasename";
var dbVersion = 1;
var indexedDB = window.indexedDB || window.webkitindexedDB || window.mozIndexedDB;
var objectStore = db.createObjectStore("objectstorename",{keypath:"key"})
objectStore.createIndex("firstIndex","firstIndexKeyPath");
}
少し話がずれますが、大事なことなので、作成環境について説明します。
Indexed DBの作成は、HTML5とJavaScriptですが、サーバーが必要になります。
何故なら、Indexed DBはSame Origin Policyを使っています。
これはドメインが違ったら、データベースにアクセス出来ないようになっている、ということです。
XSS(クロスサイトスクリプティング)予防のためです。
では、本題のデータを入れていく話に戻りましょう。
var objectStore = db.createObjectStore("objectstorename",{keyPath:"key"})
objectStore.createIndex("firstIndex","firstIndexKeyPath");
objectStore.add({firstIndexKeyPath:"firstIndexのバリュー",key:"キーのバリュー"})
}
これは、こういう事です。
{objectstorename:{key:"キーのバリュー",firstIndexKeyPath:"firstIndexのバリュー"}}
この方法は、onupgradeneededの時に、データを入れる方法です。
が、基本的の形は一緒です。objectStore.add()で入れます。
いつもアップグレードする訳ではありません。
なので、普通の場合はこうなります。
request.onsuccess()=function(){
var db = event.target.result;
var transaction = db.transaction("objectstorename", "readwrite");
var objectStore = transaction.objectStore("objectstorename");
objectStore.add({firstIndexKeyPath:"firstIndexのバリュー",key:"キーのバリュー"});
transaction.oncomplete=function(event){
alert("追加完了");
}
transaction.onerror = function(event) {
alert ('追加失敗.');
}
db.close()
}
となります。
この時点で、もうよくわからない?
もがいてください笑
データベースの消し方はindexedDB.deleteDatabase("データベース名");となるので、
今回の記事では、作成したデータベースにデータを入れていきます。
前回のおさらいです。
コードは以下になります。
var dbVersion = 1;
var indexedDB = window.indexedDB || window.webkitindexedDB || window.mozIndexedDB;
var request = indexedDB.open(dbName,dbVersion);
request.onupgradeneeded() = function(event){
var db = event.target.result;var objectStore = db.createObjectStore("objectstorename",{keypath:"key"})
objectStore.createIndex("firstIndex","firstIndexKeyPath");
}
少し話がずれますが、大事なことなので、作成環境について説明します。
Indexed DBの作成は、HTML5とJavaScriptですが、サーバーが必要になります。
何故なら、Indexed DBはSame Origin Policyを使っています。
これはドメインが違ったら、データベースにアクセス出来ないようになっている、ということです。
XSS(クロスサイトスクリプティング)予防のためです。
では、本題のデータを入れていく話に戻りましょう。
request.onupgradeneeded() = function(event){
var db = event.target.result;var objectStore = db.createObjectStore("objectstorename",{keyPath:"key"})
objectStore.createIndex("firstIndex","firstIndexKeyPath");
objectStore.add({firstIndexKeyPath:"firstIndexのバリュー",key:"キーのバリュー"})
}
これは、こういう事です。
{objectstorename:{key:"キーのバリュー",firstIndexKeyPath:"firstIndexのバリュー"}}
この方法は、onupgradeneededの時に、データを入れる方法です。
が、基本的の形は一緒です。objectStore.add()で入れます。
いつもアップグレードする訳ではありません。
なので、普通の場合はこうなります。
request.onsuccess()=function(){
var db = event.target.result;
var transaction = db.transaction("objectstorename", "readwrite");
var objectStore = transaction.objectStore("objectstorename");
objectStore.add({firstIndexKeyPath:"firstIndexのバリュー",key:"キーのバリュー"});
transaction.oncomplete=function(event){
alert("追加完了");
}
transaction.onerror = function(event) {
alert ('追加失敗.');
}
db.close()
}
となります。
この時点で、もうよくわからない?
もがいてください笑
データベースの消し方はindexedDB.deleteDatabase("データベース名");となるので、
var req = indexedDB.deleteDatabase(dbName);
req.onblocked = function(){ alert("Got Blocked on Deleting Database. Please close other tabs and reload."); }; req.onsuccess = function(){ alert("Deleted Database Successfully"); }; req.onerror=function(){ alert("Error on Deleting Database"); }; となります。
エラーやブロックされる場合は、実力行使ですね。
実際のファイルを消すという方法もあります。
2016年1月31日日曜日
Indexed Databaseの使い方 01
HTML5で使えるデータベースのIndexed DBの使い方のメモです。
2016年1月現在のAPIです。
現段階では準拠なので、正式決定の際に変更の場合があります。
APIが変更になったら、使えない場合があるので、確認してください。
まず始めに、データベースの名前を変数に入れます。
var dbName = "databasename";
次に、データベースのバージョンを整数で変数に入れます。
var dbVersion = 1;
小数点を入れると、動きません。
次にブラウザーが違う場合でも動くように
var indexedDB = window.indexedDB || window.webkitindexedDB || window.mozIndexedDB;
と、indexedDBの変数を作ります。
この三つが必要となる変数です。
では、Indexed DBに接続しましょう。
接続には、indexedDB.open(データベースの名前,データベースのバージョン)となります。
今回の例の場合は、
indexedDB.open(dbName,dbVersion)で開きます。
これを変数に入れます。
var request = indexedDB.open(dbName,dbVersion);
読者の中で、疑問に思う方もいるでしょう。
「え?データベース作ってないのに、接続すんの?」
はい、そうなんです。
無くても接続なんです。
ここが、第一関門。
request.onupgradeneeded()で、データベースを作成します。
これの理屈はこうです。
データベースが無い場合はバージョン0と認識されます。
また、もしデータベースが存在して、そのバージョンがdbVersionより小さい場合は、データベースのアップグレードが行われます。
では、データベースの中を作っていきましょう。
Indexed DBはMongo DBのようなモノです。
テーブルはありませんが、テーブルの変わりに、ObjestStoreというモノを作ります。
ObjectStoreは連想配列です。
createObjectStore()で、ObjectStoreを作ります。
createObjectStore("ObjectStore名",{keyPath:"keypathname"})
最初の引数は、ObjectStoreの名前、関係DBでいうテーブル名です。
その次の引数は、連想配列になります。Keyはkeypath(プライマリーキーみたいなモノ)、ValueはkeyPathの名前になります。
そして、ObjectStoreの中にcreateIndex()でIndexを作り、各Indexがデータフィールドとなります。
createIndex("インデックス","インデックスキーパス",{unique:false})は最低二つの引数を必要とします。最後の{unique:false}はオプションです。{unique:true}とすると、同じデータが入らなくなります。
request.onupgradeneeded() = function(event){
var db = event.target.result;
var objectStore = db.createObjectStore("objectstorename",{keyPath:"key"})
objectStore.createIndex("firstIndex","firstIndexKeyPath");
}
これで、データベースが出来ました。
次の記事でデータベースにデータの入れ方を書きます。
2016年1月現在のAPIです。
現段階では準拠なので、正式決定の際に変更の場合があります。
APIが変更になったら、使えない場合があるので、確認してください。
まず始めに、データベースの名前を変数に入れます。
var dbName = "databasename";
次に、データベースのバージョンを整数で変数に入れます。
var dbVersion = 1;
小数点を入れると、動きません。
次にブラウザーが違う場合でも動くように
var indexedDB = window.indexedDB || window.webkitindexedDB || window.mozIndexedDB;
と、indexedDBの変数を作ります。
この三つが必要となる変数です。
では、Indexed DBに接続しましょう。
接続には、indexedDB.open(データベースの名前,データベースのバージョン)となります。
今回の例の場合は、
indexedDB.open(dbName,dbVersion)で開きます。
これを変数に入れます。
var request = indexedDB.open(dbName,dbVersion);
読者の中で、疑問に思う方もいるでしょう。
「え?データベース作ってないのに、接続すんの?」
はい、そうなんです。
無くても接続なんです。
ここが、第一関門。
request.onupgradeneeded()で、データベースを作成します。
これの理屈はこうです。
データベースが無い場合はバージョン0と認識されます。
また、もしデータベースが存在して、そのバージョンがdbVersionより小さい場合は、データベースのアップグレードが行われます。
では、データベースの中を作っていきましょう。
Indexed DBはMongo DBのようなモノです。
テーブルはありませんが、テーブルの変わりに、ObjestStoreというモノを作ります。
ObjectStoreは連想配列です。
createObjectStore()で、ObjectStoreを作ります。
createObjectStore("ObjectStore名",{keyPath:"keypathname"})
最初の引数は、ObjectStoreの名前、関係DBでいうテーブル名です。
その次の引数は、連想配列になります。Keyはkeypath(プライマリーキーみたいなモノ)、ValueはkeyPathの名前になります。
そして、ObjectStoreの中にcreateIndex()でIndexを作り、各Indexがデータフィールドとなります。
createIndex("インデックス","インデックスキーパス",{unique:false})は最低二つの引数を必要とします。最後の{unique:false}はオプションです。{unique:true}とすると、同じデータが入らなくなります。
request.onupgradeneeded() = function(event){
var db = event.target.result;
var objectStore = db.createObjectStore("objectstorename",{keyPath:"key"})
objectStore.createIndex("firstIndex","firstIndexKeyPath");
}
これで、データベースが出来ました。
次の記事でデータベースにデータの入れ方を書きます。
2016年1月30日土曜日
忠とは何だろうか? 02
唯々諾々とするのが忠なのだろうか。
認識とは主観的であるがゆえに、一層考える必要がある。
歯に衣着せぬ人もある。
私はそういう人を忠の人と思っているが、まわりの評価は低い。
虚礼を好む者がいるという事に若い頃は驚いたが、最近では虚礼を好まない者が圧倒的に少ないという事に驚いている。
半分半分だと思っていたが、そうではない。
虚礼を好む者が大多数という事実に、苦笑しているのである。
虚礼に我々人間どれほどの労力を費やしていることか、考えてみると唖然とする。
虚礼を廃したら、どれほどの時間と労力が節約できるのか。
「お世話になってます。」
「お疲れ様です。」
お辞儀。
例を挙げたらキリが無い。
相手に良い気持ちをさせようと、礼を尽くす。
たしかに、それも大切な仕事だ。
これを考えてみれば、虚礼を尽くされて舞い上がらせている、という事だ。
なんということだろうか!
私はそういう人間に会社の重要ポストに就いて欲しくない。
また、失礼だと考えられたくないから、礼を尽くす。
バカにされないために虚勢を張るということだ。
失礼の極みであると同時に、他人を失礼と言う輩も失礼だ。
なんということだろうか!
私は蝸牛角上の争いに巻き込まれたということだろうか。
こう考えてみると、人間というものは、なんとも面白い。
人間は考える葦どころの話ではない。
我々人間は考えるが、考えのベースに感情がある。
感情をベースに考える人間は、感情を揺さぶるだけで考えが揺れる。
このことを、よく理解した人が世に憚っているのを見かける。
一部の人は、マイノリティーになるが、感情をベースに考えることを知っているが故に、感情をベースに考えることを極力避けようとする。
こういう人に対して、虚礼を尽くすと、変な感じになる。
彼らは、嘘よりも真実という劇薬を好む。
得がたき忠義の士と福澤諭吉の学問のすゝめにはあるが、斯様な人の事を言うのだろう。
勝負の世界に於いて、感情に流される輩は危うい。
この宇宙は勝負の世界ではないが、この宇宙は勝負の世界を包摂している。
そして、勝負の世界には、感情に流される人と流されない人とが居る。
人々は組織を作り、日々争っている。
まるで、司馬懿のように。
まるで、諸葛亮のように。
人間とは何かを知る人が、道とは何かを知る人が、確かに居る。
認識とは主観的であるがゆえに、一層考える必要がある。
歯に衣着せぬ人もある。
私はそういう人を忠の人と思っているが、まわりの評価は低い。
虚礼を好む者がいるという事に若い頃は驚いたが、最近では虚礼を好まない者が圧倒的に少ないという事に驚いている。
半分半分だと思っていたが、そうではない。
虚礼を好む者が大多数という事実に、苦笑しているのである。
虚礼に我々人間どれほどの労力を費やしていることか、考えてみると唖然とする。
虚礼を廃したら、どれほどの時間と労力が節約できるのか。
「お世話になってます。」
「お疲れ様です。」
お辞儀。
例を挙げたらキリが無い。
たしかに、それも大切な仕事だ。
これを考えてみれば、虚礼を尽くされて舞い上がらせている、という事だ。
なんということだろうか!
私はそういう人間に会社の重要ポストに就いて欲しくない。
また、失礼だと考えられたくないから、礼を尽くす。
バカにされないために虚勢を張るということだ。
失礼の極みであると同時に、他人を失礼と言う輩も失礼だ。
なんということだろうか!
私は蝸牛角上の争いに巻き込まれたということだろうか。
こう考えてみると、人間というものは、なんとも面白い。
人間は考える葦どころの話ではない。
我々人間は考えるが、考えのベースに感情がある。
感情をベースに考える人間は、感情を揺さぶるだけで考えが揺れる。
このことを、よく理解した人が世に憚っているのを見かける。
一部の人は、マイノリティーになるが、感情をベースに考えることを知っているが故に、感情をベースに考えることを極力避けようとする。
こういう人に対して、虚礼を尽くすと、変な感じになる。
彼らは、嘘よりも真実という劇薬を好む。
得がたき忠義の士と福澤諭吉の学問のすゝめにはあるが、斯様な人の事を言うのだろう。
勝負の世界に於いて、感情に流される輩は危うい。
この宇宙は勝負の世界ではないが、この宇宙は勝負の世界を包摂している。
そして、勝負の世界には、感情に流される人と流されない人とが居る。
人々は組織を作り、日々争っている。
まるで、司馬懿のように。
まるで、諸葛亮のように。
人間とは何かを知る人が、道とは何かを知る人が、確かに居る。
2016年1月29日金曜日
忠とは何だろうか? 01
鹿児島の鹿屋基地へ行って参りました。
零戦見ました。
軽々と、ヒョイっと上がって、おおおおおってなりましたね。
エンジン音が随分モダンだなぁと思ってたら、やはりエンジンは載せ替えたモノらしいですね。
アメリカの航空ショーで、カーチスP40の五機編隊を見たことがあります。
アメリカのモノはやはり、アメリカ。日本のモノはやはり日本。
作った人の人柄というものが出ている気がします。
海上自衛隊航空隊鹿屋基地にある史料館、知覧平和会館も見学したところ、忠とは何かと考えました。
史料館と平和会館の論調の違いを感じたからです。
特別攻撃隊員の志は類を見ないものだと思います。
まさに忠義の士と言えます。
平和会館に韓国人の団体観光客が来ていました。
彼らは一体どういう風に見ていたのか、気になりました。
立場が違えばモノのとらえ方も変わりますからね。
山本五十六は、開戦に反対していましたが、開戦が決定されると、果敢に決行しました。
大西瀧次郎は、戦況が悪くなり特別攻撃を推進し、戦後割腹自決をしました。
それを思うと、忠とは何だろうと考えざるを得なくなりました。
当時の日本に忠臣は居たのかと思いました。
当時の日本で戦争を本当に反対した人は居たのだろうか、と言うことです。
諫めやすい事を諫めることは簡単です。
しかし、諫めにくい事を諫める事は難しい。
本佐録にはこうあります。「諫めがたきを諫むるを忠臣」と言うと。
開戦が決定された時、自らの腹を切って戦争を反対した軍人は居たのでしょうか?
開戦を推進しようと、血気盛んにクーデターまでやった若い将校が居たことは226事件などを見れば、想像が付きます。
もちろん、彼らも国の事を考えたうえでの行動だと思います。
同様に、国のことを考えて、開戦を反対した忠義の士は居たのか、という疑問です。
漢籍の一つ、史記に屈原という男の話があります。
春秋戦国時代の政治家です。
彼は、自分の国の楚の王様が他国の秦の謀略に踊らされて戦争をしようとしているのを、必死に止めようとしました。
しかし、王様は屈原の諫めを聞かずに、屈原は左遷。
楚は秦にボコボコにされ、屈原は自害しました。
彼の作った漢詩は、武士の必読書の四書五経の一つである詩経に載っています。
離騒という題です。
是非一度読んでみて下さい。
そして忠とは何かを考えてみて下さい。
死をも厭わない人間を死なせる事になる。
これが国益なのでしょうか。
零戦見ました。
軽々と、ヒョイっと上がって、おおおおおってなりましたね。
エンジン音が随分モダンだなぁと思ってたら、やはりエンジンは載せ替えたモノらしいですね。
アメリカの航空ショーで、カーチスP40の五機編隊を見たことがあります。
アメリカのモノはやはり、アメリカ。日本のモノはやはり日本。
作った人の人柄というものが出ている気がします。
海上自衛隊航空隊鹿屋基地にある史料館、知覧平和会館も見学したところ、忠とは何かと考えました。
史料館と平和会館の論調の違いを感じたからです。
特別攻撃隊員の志は類を見ないものだと思います。
まさに忠義の士と言えます。
平和会館に韓国人の団体観光客が来ていました。
彼らは一体どういう風に見ていたのか、気になりました。
立場が違えばモノのとらえ方も変わりますからね。
山本五十六は、開戦に反対していましたが、開戦が決定されると、果敢に決行しました。
大西瀧次郎は、戦況が悪くなり特別攻撃を推進し、戦後割腹自決をしました。
それを思うと、忠とは何だろうと考えざるを得なくなりました。
当時の日本に忠臣は居たのかと思いました。
当時の日本で戦争を本当に反対した人は居たのだろうか、と言うことです。
諫めやすい事を諫めることは簡単です。
しかし、諫めにくい事を諫める事は難しい。
本佐録にはこうあります。「諫めがたきを諫むるを忠臣」と言うと。
開戦が決定された時、自らの腹を切って戦争を反対した軍人は居たのでしょうか?
開戦を推進しようと、血気盛んにクーデターまでやった若い将校が居たことは226事件などを見れば、想像が付きます。
もちろん、彼らも国の事を考えたうえでの行動だと思います。
同様に、国のことを考えて、開戦を反対した忠義の士は居たのか、という疑問です。
漢籍の一つ、史記に屈原という男の話があります。
春秋戦国時代の政治家です。
彼は、自分の国の楚の王様が他国の秦の謀略に踊らされて戦争をしようとしているのを、必死に止めようとしました。
しかし、王様は屈原の諫めを聞かずに、屈原は左遷。
楚は秦にボコボコにされ、屈原は自害しました。
彼の作った漢詩は、武士の必読書の四書五経の一つである詩経に載っています。
離騒という題です。
是非一度読んでみて下さい。
そして忠とは何かを考えてみて下さい。
死をも厭わない人間を死なせる事になる。
これが国益なのでしょうか。
2016年1月28日木曜日
Windows Store Appについて 01
Windows Store Appを甘く見ていました。
よくよくよく、考えてみると、面白いですね。
まさに、モバイルアプリ戦国時代と例えることが出来ると思います。
どういうことか、説明しましょう。
モバイル端末の革命はiPhoneから始まったと考えてみましょう。
小型コンピュータであった携帯電話が、さらにコンピュータ化しました。
iモードなどでアプリをダウンロードし、携帯にアプリを入れる時代は来ていましたが、App Storeの登場により、モバイル端末アプリ市場が急速に拡大しました。
これに追随するように、Android端末が出ました。
スマートフォンの普及が進むにつれて、各陣営はアプリの市場を手に入れました。
また、開発者にとってもおいしい話でした。
アプリを販売し収入を得たり、アプリからの広告で収入を得たり、既存のWebアプリの市場を奪っていきました。
Webという共通のプラットフォームから脱却し、OS空間でのアプリという市場。OSの元締めからしたら、おいしい話です。
Windows8からモバイル端末を意識した、Store Appが出来ました。完全に、OS空間でのアプリ市場を見据えたモノです。
私は、てっきり、C#を使った一つの言語空間だとばかり思っていました。
しかし!!!
Javascript、HTML、CSSを使ってアプリの作成が出来るという、WebアプリもStore Appで利用できるという、開発者にとってはありがたい話です。
iOS用、Android用と、開発者はそれぞれの言語を理解し、場合によっては勉強する必要があります。
HTML、CSS、Javascriptを使えるフロントエンドデベロッパーが、アプリを作れるというのは、とんでもない開発者の囲い込み/取り込みのようにしか私には思えません。
今後、HTML5が発展・普及するにつれて、Webアプリは、今までパイを奪ってきたモバイルアプリ市場から、パイを奪い返すことになります。
アプリをダウンロードせずに、URLにアクセスするだけで使えるアプリ。
HTML5についてる、IndexedDBを使ったアプリは今後増えることでしょう。
IndexedDBの問題点は、まだ技術的に確定していないことです。
2014年に、IndexedDBを使ったアプリを開発したことがありますが、その時は泣きを見ました。
DBへの接続方法が、大きく変わり、ブログで公開されている方法を試してみても動かなかったのです。
Windows Store Appは、Web Appに対応している。
なんというズルでしょうか。
Visual Studioになんで、JavaScriptがあるんだろう、と思っていました。
ふと気になって、Windows Store App JavaScriptと調べて見ると、げげげげーと。
2014年当時から、出来てたのに、そんなこともしらずにWebApp作ってましたよ。
まぁ、Windowsのモバイル端末やStore Appがどれほど普及してるかは、別問題ですけど、Windowsですよ。
でかいマーケットだと思いますよ。
どーですか、フロントエンドデベロッパーの皆さん。
Windows Store App作りませんか?
よくよくよく、考えてみると、面白いですね。
まさに、モバイルアプリ戦国時代と例えることが出来ると思います。
どういうことか、説明しましょう。
モバイル端末の革命はiPhoneから始まったと考えてみましょう。
小型コンピュータであった携帯電話が、さらにコンピュータ化しました。
iモードなどでアプリをダウンロードし、携帯にアプリを入れる時代は来ていましたが、App Storeの登場により、モバイル端末アプリ市場が急速に拡大しました。
これに追随するように、Android端末が出ました。
スマートフォンの普及が進むにつれて、各陣営はアプリの市場を手に入れました。
また、開発者にとってもおいしい話でした。
アプリを販売し収入を得たり、アプリからの広告で収入を得たり、既存のWebアプリの市場を奪っていきました。
Webという共通のプラットフォームから脱却し、OS空間でのアプリという市場。OSの元締めからしたら、おいしい話です。
Windows8からモバイル端末を意識した、Store Appが出来ました。完全に、OS空間でのアプリ市場を見据えたモノです。
私は、てっきり、C#を使った一つの言語空間だとばかり思っていました。
しかし!!!
Javascript、HTML、CSSを使ってアプリの作成が出来るという、WebアプリもStore Appで利用できるという、開発者にとってはありがたい話です。
iOS用、Android用と、開発者はそれぞれの言語を理解し、場合によっては勉強する必要があります。
HTML、CSS、Javascriptを使えるフロントエンドデベロッパーが、アプリを作れるというのは、とんでもない開発者の囲い込み/取り込みのようにしか私には思えません。
今後、HTML5が発展・普及するにつれて、Webアプリは、今までパイを奪ってきたモバイルアプリ市場から、パイを奪い返すことになります。
アプリをダウンロードせずに、URLにアクセスするだけで使えるアプリ。
HTML5についてる、IndexedDBを使ったアプリは今後増えることでしょう。
IndexedDBの問題点は、まだ技術的に確定していないことです。
2014年に、IndexedDBを使ったアプリを開発したことがありますが、その時は泣きを見ました。
DBへの接続方法が、大きく変わり、ブログで公開されている方法を試してみても動かなかったのです。
Windows Store Appは、Web Appに対応している。
なんというズルでしょうか。
Visual Studioになんで、JavaScriptがあるんだろう、と思っていました。
ふと気になって、Windows Store App JavaScriptと調べて見ると、げげげげーと。
2014年当時から、出来てたのに、そんなこともしらずにWebApp作ってましたよ。
まぁ、Windowsのモバイル端末やStore Appがどれほど普及してるかは、別問題ですけど、Windowsですよ。
でかいマーケットだと思いますよ。
どーですか、フロントエンドデベロッパーの皆さん。
Windows Store App作りませんか?
2016年1月27日水曜日
国家社会主義ドイツ労働者党と自由民主党
民主党の小川氏が市民連合においての挨拶で、安倍晋三総理大臣がヒトラーに似てきた、と発言した。
安倍首相がアドルフ・ヒトラーに例えられるのは、彼が行政に復帰してから度々あることだ。
少し、考えてみよう。
鳩山元総理大臣は、ヒトラーに似ていたのか?
と、主語をあえて変えて考えてみる。
選挙で大勝した民主党は、脱官僚・政治主導を掲げた。
官僚に問題があるということにして、そして官僚と癒着した政治が悪いとした。
結果をみるに失敗に終わったと思うが、支持率は70パーセントを超えていた。
私は、鳩山元総理がヒトラーに似ているとは思えない。
ヒトラーほど演説がうまかったわけでもないし、ヒトラーほど実行力があったとも思えない。
安倍総理は似ているのか。
類似点はある。
憲法の解釈を変える。
民主的に選ばれた。
「アベしちゃう」と叩かれた姿は面影も無く、はっきりと答弁をする。
私は似ていると思うが、それは大衆にウケの良い方法を勉強して真似た成果ではないかと思っている。
ヒトラーの右腕ゲッベルスは、アメリカの商業広告からヒントを得てプロパガンダを作っていたという。
大衆に嘘を繰り返して言うと信じる等という言葉もあながち嘘ではない。
似ていないと思う点もある。
ナチス労働党は、急激に支持者を増やした。
自民党は選挙で勝ったが、狂信的な自民党信者という人を見かけたことはない。
勢いが欲しい自民党はナチスの手法を真似ようと試行錯誤しているのではないだろうか。
既存勢力は勢力の保守を求める。
無論、拡大をもくろむが、捨て身はしない。
本当に、安倍首相がヒトラーに似ているのだったら、もっと過激にやっているのではないだろうか。
野党の政治家を投獄したり党本部を破壊したりして徹底的に議会政治を破壊して、低所得年金受給者に三万円を配るなんかよりも大々的な公共事業を打ち立て、償還すると宣戦布告と見なすと言われたアメリカ国債を償還し「やれるもんならやってみろ」と恫喝し、すべての元凶はXXだと言って殺戮する。
こう考えると、ナチス党の執行力・実行力は、自民党の比ではない。
如何に、急進的であったことか!
私は、安倍政権よりも、安倍政権の後の政権の方が過激なモノが出てくるのではないだろうかと睨んでいる。
安倍首相がアドルフ・ヒトラーに例えられるのは、彼が行政に復帰してから度々あることだ。
少し、考えてみよう。
鳩山元総理大臣は、ヒトラーに似ていたのか?
と、主語をあえて変えて考えてみる。
選挙で大勝した民主党は、脱官僚・政治主導を掲げた。
官僚に問題があるということにして、そして官僚と癒着した政治が悪いとした。
結果をみるに失敗に終わったと思うが、支持率は70パーセントを超えていた。
私は、鳩山元総理がヒトラーに似ているとは思えない。
ヒトラーほど演説がうまかったわけでもないし、ヒトラーほど実行力があったとも思えない。
安倍総理は似ているのか。
類似点はある。
憲法の解釈を変える。
民主的に選ばれた。
「アベしちゃう」と叩かれた姿は面影も無く、はっきりと答弁をする。
私は似ていると思うが、それは大衆にウケの良い方法を勉強して真似た成果ではないかと思っている。
ヒトラーの右腕ゲッベルスは、アメリカの商業広告からヒントを得てプロパガンダを作っていたという。
大衆に嘘を繰り返して言うと信じる等という言葉もあながち嘘ではない。
似ていないと思う点もある。
ナチス労働党は、急激に支持者を増やした。
自民党は選挙で勝ったが、狂信的な自民党信者という人を見かけたことはない。
勢いが欲しい自民党はナチスの手法を真似ようと試行錯誤しているのではないだろうか。
ナチスはドイツ国内・国外を含め既存の勢力を壊そうとした。
だからこそ、戦争が引き起こされた。
自民党は、既存勢力の現れだ。既存勢力は勢力の保守を求める。
無論、拡大をもくろむが、捨て身はしない。
本当に、安倍首相がヒトラーに似ているのだったら、もっと過激にやっているのではないだろうか。
野党の政治家を投獄したり党本部を破壊したりして徹底的に議会政治を破壊して、低所得年金受給者に三万円を配るなんかよりも大々的な公共事業を打ち立て、償還すると宣戦布告と見なすと言われたアメリカ国債を償還し「やれるもんならやってみろ」と恫喝し、すべての元凶はXXだと言って殺戮する。
こう考えると、ナチス党の執行力・実行力は、自民党の比ではない。
如何に、急進的であったことか!
私は、安倍政権よりも、安倍政権の後の政権の方が過激なモノが出てくるのではないだろうかと睨んでいる。
2016年1月26日火曜日
批判的思考 03
事物を一つ一つ多角的に捉えて考える。
批判的思考は新しい考え方をもたらす。
しかし、それは同時に、破壊をもたらす、と私は考える。
批判的思考は必ずしも良いとは言えない、のではないだろうか。
何故なら、批判的思考は既存の概念を破壊するからだ。
これは、アメリカという国を鑑みると顕著だと私は思う。
第二次大戦後の好景気に沸くアメリカ。
大学への進学率は未だに高いとは言えないが、大学に行く若者の数は増えた。
アメリカは自由と民主主義のために戦う、という理念の元、反共的な政策を続け戦争を続けた。
ヒッピー文化の中心地であるスタンフォード大学では、多くの若者がベトナム戦争を反対した。
彼らは、ベトナム戦争が正しくないと信じた。
政府の言うことに反抗した。
最初は白眼視された抗議運動も、全米に広がり、メディアの影響もあり、ついにアメリカはベトナムから手を引いた。
既存の概念が破壊されるとき、新しい概念が生まれる。
私はそれを、発明だと思っている。
考えてみれば、多くの発明品は、既存の事物を破壊した。
自動車の発明により、馬産業は壊滅的な打撃を受けた。
コンピューターやロボットのせいで、人々は仕事を失う。
例を挙げたらきりが無い。
創造とは破壊である。
しかし、勘違いしてはならない。
破壊は創造ではない。
創造した結果、破壊が起きたのだ。
批判的思考は、毒でもあり薬でもある。
日本では、あまり馴染みのない考えだが、やっている人はやっている。
MAZDAのスカイアクティブエンジンの開発話などを鑑みると、批判的思考そのものだと私は考えている。
私は日本人に考えることを奨励したい。
批判的思考は新しい考え方をもたらす。
しかし、それは同時に、破壊をもたらす、と私は考える。
批判的思考は必ずしも良いとは言えない、のではないだろうか。
何故なら、批判的思考は既存の概念を破壊するからだ。
これは、アメリカという国を鑑みると顕著だと私は思う。
第二次大戦後の好景気に沸くアメリカ。
大学への進学率は未だに高いとは言えないが、大学に行く若者の数は増えた。
アメリカは自由と民主主義のために戦う、という理念の元、反共的な政策を続け戦争を続けた。
ヒッピー文化の中心地であるスタンフォード大学では、多くの若者がベトナム戦争を反対した。
彼らは、ベトナム戦争が正しくないと信じた。
政府の言うことに反抗した。
最初は白眼視された抗議運動も、全米に広がり、メディアの影響もあり、ついにアメリカはベトナムから手を引いた。
既存の概念が破壊されるとき、新しい概念が生まれる。
私はそれを、発明だと思っている。
考えてみれば、多くの発明品は、既存の事物を破壊した。
自動車の発明により、馬産業は壊滅的な打撃を受けた。
コンピューターやロボットのせいで、人々は仕事を失う。
例を挙げたらきりが無い。
創造とは破壊である。
しかし、勘違いしてはならない。
破壊は創造ではない。
創造した結果、破壊が起きたのだ。
批判的思考は、毒でもあり薬でもある。
日本では、あまり馴染みのない考えだが、やっている人はやっている。
MAZDAのスカイアクティブエンジンの開発話などを鑑みると、批判的思考そのものだと私は考えている。
私は日本人に考えることを奨励したい。
2016年1月25日月曜日
批判的思考 02
批判的思考はアメリカの大学で盛んに取り上げられる。
インターネットでwhy is critical thinking importantと調べて見ると、英語圏の大学の英語科のウェブサイトにたどり着いた。
批判的思考は哲学科ではなく、英語科の範囲になるようだ。
英語科のサイトによると、「批判的に読め!」との事だ。
文献に書いてあることを鵜呑みにするのでは無く、一つ一つを精査して読むことが大事だと。
私事だが、正直、私も最初すごく戸惑った。
「批判的に読め?そんな事をしたらキリがないぞ」と。
屁理屈言うなと、よく怒られていた私は天性の批判家だったようだ。
すこし、脇道にそれるが、批判と非難の違いを明確にしておきたい。
批判は、事実を提示する作業だ。
非難は、感情的な攻撃だ。
残念なことに、批判が非難と認識されることがある。
たとえば、「彼は嘘つきだ」と、事実を提示したにもかかわらず、「毒舌だねー」となる。
面白いことに、批判を非難と捉える人は、攻撃するのが大好きだ。
魚を見て、魚肉を思い浮かべるのと同じだ。
逆に、批判を非難と捉えない人は、事実を好む。
そして、批判から得られる事実かも知れない事象を何よりも大事にする、非常に貴重な人だ。
話を戻そう。
アメリカの大学では入学後、最初に英語の論文の授業を取ることになる。
なぜならば、多くの授業の必須科目だからだ。
化学でも論文、社会学でも論文、映画でも論文。
これでもか、というほど読む、そして書く。
読んだら、引用して書く。
引用した物を、論理的に筋立てて組み立てていく。
そうやって、批判的思考と論理的思考を血肉と化す。
さらに、クラス内で議論する。
議論は討論ではない。
DiscussionとDebateの違いだ。
討論は、テーマがあり、是非に別れて論議し、勝ち負けを決める勝負だ。
アメリカの大学にはディベート部というクラブ活動もあるが、ディスカッション部というクラブ活動は聞いたことがない。
ディスカッションは、お互いの意見の主張する対話だ。
勝ち負けよりも、模索に近いと私は思う。
ディスカッションしたかったら、大学街にある酒場に行ってみるといい。
あーでもない、こーでもない、と様々な議論が繰り広げられている。
相手と意見が違う事が当たり前なアメリカ文化では、互いの意見を述べあうことは、当たり前だ。
そうやってお互いを知り合うのだ。
非常に知的な人たちの会話方法だと、私は考えている。
議論は討論ではない。
DiscussionとDebateの違いだ。
討論は、テーマがあり、是非に別れて論議し、勝ち負けを決める勝負だ。
アメリカの大学にはディベート部というクラブ活動もあるが、ディスカッション部というクラブ活動は聞いたことがない。
ディスカッションは、お互いの意見の主張する対話だ。
勝ち負けよりも、模索に近いと私は思う。
ディスカッションしたかったら、大学街にある酒場に行ってみるといい。
あーでもない、こーでもない、と様々な議論が繰り広げられている。
相手と意見が違う事が当たり前なアメリカ文化では、互いの意見を述べあうことは、当たり前だ。
そうやってお互いを知り合うのだ。
非常に知的な人たちの会話方法だと、私は考えている。
2016年1月24日日曜日
批判的思考 01
批判的思考、Critical Thinking、クリティカルシンキングは、アメリカの高等教育で重要視されている思考方法だ。
物をよく考えろ、って事を大学に入って初めて学ぶ。
アメリカの大学では、論文を書くクラスが必修とされていて、English101とかUniversity Writingとか、名前は違えどもやることは一緒。
論文を書くには、トピックが必要だ。
そして、トピックに沿った主張と証拠を用いて書く練習をする。
論理的であることが求められる。
そして、論理的に、批判的思考をすることが大事だと言うことを、散々教えられる。
まず、論理的思考から説明する。
そして、その次に批判的思考を説明しようとおもう。
論理的思考とは、単純明快だ。
我々が日々やっている理由付け、屁理屈、言い訳という部類は、この論理的思考に該当する。
たとえば:賞味期限は明日まで、「だから」、今日食べよう。
文の前半で理由を述べていて、だから、という接続詞を使って後半の文が行為を表している。
他にも、雪が凍って危ない、だからゆっくり歩こう。
私は子供の頃に、先生によく「屁理屈言うな」と怒られた。
先生「どうして、ハナちゃんを叩いたの。駄目でしょう。」
私「だって、ハナちゃんが僕の悪口言ったんだもん。」
先生「屁理屈言わないの。男の子が女の子を叩いちゃ駄目でしょう。」
僕は悪口を言われた、だからハナちゃんを叩いた。
ハナちゃんが僕の悪口を言ったから、僕はハナちゃんを叩いた。
屁理屈だと断定されたが、論理的には正しい。
もっといえば、「ムシャクシャしたから」「好きだから」も論理的には正しい。
論理的に正しくないのは、「リモコンが壊れた。そして、ハナちゃんを叩いた。」
これは、論理学に間違っている。ただたんなる、接続詞の問題でもあるが。
しかし、論理的に正しいからといって、正しいわけじゃ無い。
これは、読者の皆さんもよくご存じの事だろう。
「ムシャクシャしたから、叩いた」なんて、言語道断。
批判的思考は、論理的に正しいけど、本当に正しいのか、よくよく論理的に考えようという、思考方法だ。
少し話はずれるが、アメリカの大学は批判的思考の他にリーダーシップを重要視する。
何故か?
それは、アメリカの大学は集団の長「エリート」を養成する教育機関だからだ。
ヨーロッパの大学の始まりは、神についての研究:神学を重要視していた傾向がある。
それが、たとえば、イギリスのボーディングスクール・大学も、神学教育から始まった物の、エリート養成所と姿を変えた。
神学では飯は食えないし、戦争には勝てないし、経済も良くならない。
物をよく考えろ、って事を大学に入って初めて学ぶ。
アメリカの大学では、論文を書くクラスが必修とされていて、English101とかUniversity Writingとか、名前は違えどもやることは一緒。
論文を書くには、トピックが必要だ。
そして、トピックに沿った主張と証拠を用いて書く練習をする。
論理的であることが求められる。
そして、論理的に、批判的思考をすることが大事だと言うことを、散々教えられる。
まず、論理的思考から説明する。
そして、その次に批判的思考を説明しようとおもう。
論理的思考とは、単純明快だ。
我々が日々やっている理由付け、屁理屈、言い訳という部類は、この論理的思考に該当する。
たとえば:賞味期限は明日まで、「だから」、今日食べよう。
文の前半で理由を述べていて、だから、という接続詞を使って後半の文が行為を表している。
他にも、雪が凍って危ない、だからゆっくり歩こう。
私は子供の頃に、先生によく「屁理屈言うな」と怒られた。
先生「どうして、ハナちゃんを叩いたの。駄目でしょう。」
私「だって、ハナちゃんが僕の悪口言ったんだもん。」
先生「屁理屈言わないの。男の子が女の子を叩いちゃ駄目でしょう。」
僕は悪口を言われた、だからハナちゃんを叩いた。
ハナちゃんが僕の悪口を言ったから、僕はハナちゃんを叩いた。
屁理屈だと断定されたが、論理的には正しい。
もっといえば、「ムシャクシャしたから」「好きだから」も論理的には正しい。
論理的に正しくないのは、「リモコンが壊れた。そして、ハナちゃんを叩いた。」
これは、論理学に間違っている。ただたんなる、接続詞の問題でもあるが。
しかし、論理的に正しいからといって、正しいわけじゃ無い。
これは、読者の皆さんもよくご存じの事だろう。
「ムシャクシャしたから、叩いた」なんて、言語道断。
批判的思考は、論理的に正しいけど、本当に正しいのか、よくよく論理的に考えようという、思考方法だ。
少し話はずれるが、アメリカの大学は批判的思考の他にリーダーシップを重要視する。
何故か?
それは、アメリカの大学は集団の長「エリート」を養成する教育機関だからだ。
ヨーロッパの大学の始まりは、神についての研究:神学を重要視していた傾向がある。
それが、たとえば、イギリスのボーディングスクール・大学も、神学教育から始まった物の、エリート養成所と姿を変えた。
神学では飯は食えないし、戦争には勝てないし、経済も良くならない。
集団を引っぱる人間が必要とされてきた、という需要があったのだろう。
集団のトップが論理的思考だけできて、批判的思考が出来ないと、集団に大きな不利益をもたらす事がある。
第二次大戦の日本が良い例だ。
日本は神の国だ、だから負けるわけが無い。
論理的に正しい。が、果たして正しいのか。
批判的思考は、それを吟味する。
日本とは?
神の国とは?
神の国が勝つとは?
負けるとは?
負けるわけがないとは?
一つ一つを精査し、証拠で説明する。
では、次に、具体的にアメリカの大学でどのように教えているのか。
それは、次のブログで。
2016年1月23日土曜日
自己肯定という名目で自己否定を続けた
「私はあんなヤツなんかと違うんだ」、と頑張って差別化し何とかしようとする人がいる。他己を否定することで、自己を肯定するという行為だ。
何とかしようとするが、その目的を観ると不快の解消がしたいだけなのだ。
しかし、当人は不快がコンプレックスな感情に起因しているとは気づかず、都合の良い理屈を夜な夜な練り出す。
理屈により自身を正当化し感情的に一時的にスッキリする。そして日はまた昇る。新たな不快とともに。
これの厄介な所は、一時的にスッキリする方法を知っている事だ。
だから、それ以外の方法を知ることは難しいだろう。
何とかしようとするが、その目的を観ると不快の解消がしたいだけなのだ。
しかし、当人は不快がコンプレックスな感情に起因しているとは気づかず、都合の良い理屈を夜な夜な練り出す。
理屈により自身を正当化し感情的に一時的にスッキリする。そして日はまた昇る。新たな不快とともに。
これの厄介な所は、一時的にスッキリする方法を知っている事だ。
だから、それ以外の方法を知ることは難しいだろう。
理屈は薬である。
言い訳とは、とある事象にさらに別の情報をつけたし(説明)する事によって相手の理解を得ようとする行為である。
理屈が薬になる良い例だ。
または、自己に対する欺瞞だ。
状況の理解を得て、さらに相手の同情を得るのが最高の言い訳になる。
「だって、何何だったんだもん。」
何何だったんだもん、と理由をつけて、障害を乗り越えて問題を解決する意志を感じられない。
最高の言い訳をしても、既に起きた事象は事象のままだ。
例を挙げてみよう。
すこし汚いが、最大のコメディだと思って読んでくれ。
半分実話だ。
ウンコを漏らしながら、レストランで飯を食う。
トイレが閉まってたと言い訳しながら。
漏らしてしまった事に関して同情も理解も得るかも知れない。
しかしながら、「席で飯を食いながら、する事を選んだ」事に関して直接的に関係はしてない。
トイレのドアの前で忍んでする事だって出来たはずだ。
それにも関わらず、周りに居る人に不快な思いをさせる事を選んで「トイレが閉まっていた」と言い訳をする。
言い訳して他人の不快な思いが消えるかっていうと、そうじゃない。
本人が誤魔化しているだけだ。
この手の人間は、煽りやすく、熱しやすく冷めやすい。
全うに注意して、話を聞いてもらえると「昨日までの俺は馬鹿だった。さらば自分。」みたいな事を言い始める。
自己を肯定するために、自己を否定する。
それも、その目的を観ると不快の解消がしたいだけなのだ。
注意を聞いてもらって、達成感があったが、その後の反応を見てがっかりした。
無限ループの突入だ。
私は以来、口をつぐんだ。
ムナシサを
ニゴシ誤魔化す
理屈かな
ムナシサを
ニゴシ誤魔化す
理屈かな
2016年1月22日金曜日
クレーマーの事
クレーマーってのは日々常に何かをクレームしてますね。
私の知る限り、欲求不満の人が欲求不満を解消するためにする娯楽のようなものだと思ってます。
この手の人が苦情をクレームすると、もうヤバい。
「わたし子供じゃなくてもう25才の大人なの、どうしてアナタはそう話すの?」
やってしまった。いや、やられた。
イラッと来た。私の気が触れた。
彼女の気の放散の加減は半端ない。
(この手の人間は何か変なトラブルを頻繁に起こす。たとえば、プリンターが止まったり、何故かフリーズする(ファイル未保存)等々)
完全に気を抜いていた所に、欲求不満の怒りが飛んできた。
しかし、怒りも恐怖も悲しみも慈しみも楽しみも関係ない。
私を取って食おうとする人間が目の前にいたのだ。
「私のしゃべり方と、今直面している問題の解決の方法とどう関係あるのでしょうか?YesかNoでお答え下さい。」
NOと言わせ、問題を他部署のせいにしてその場をしのいだ。
私は完全に参っていた。
後日、またきた。
brenthavenの新品の鞄を持って・・・
(brenthavenとは創業35年シアトル発祥の鞄メーカー。100ドル以上はするが、アメリカ製でデザインも良く作りも質も凄く良い。よく考えられ丁寧にデザインされているのが背負い心地から伝わってくる。2年前にブロードウェーに初出店した。)
「イイ鞄だね!あそこの店でしょ?」
私の知る限り、欲求不満の人が欲求不満を解消するためにする娯楽のようなものだと思ってます。
この手の人が苦情をクレームすると、もうヤバい。
「わたし子供じゃなくてもう25才の大人なの、どうしてアナタはそう話すの?」
やってしまった。いや、やられた。
イラッと来た。私の気が触れた。
彼女の気の放散の加減は半端ない。
(この手の人間は何か変なトラブルを頻繁に起こす。たとえば、プリンターが止まったり、何故かフリーズする(ファイル未保存)等々)
完全に気を抜いていた所に、欲求不満の怒りが飛んできた。
しかし、怒りも恐怖も悲しみも慈しみも楽しみも関係ない。
私を取って食おうとする人間が目の前にいたのだ。
「私のしゃべり方と、今直面している問題の解決の方法とどう関係あるのでしょうか?YesかNoでお答え下さい。」
NOと言わせ、問題を他部署のせいにしてその場をしのいだ。
私は完全に参っていた。
後日、またきた。
brenthavenの新品の鞄を持って・・・
(brenthavenとは創業35年シアトル発祥の鞄メーカー。100ドル以上はするが、アメリカ製でデザインも良く作りも質も凄く良い。よく考えられ丁寧にデザインされているのが背負い心地から伝わってくる。2年前にブロードウェーに初出店した。)
「イイ鞄だね!あそこの店でしょ?」
こんな、些細な会話から少し気さくな会話をする。
こうして、彼女の欲求不満をお喋りで発散させると、案の定彼女はクレームを言わなくなった。
が、毎日私の所へ喋りに来るようになってしまった。
こういう時に、私は自分の行いを省みる。
そして、彼女に優しくこう伝えた。
「あなたとのお喋りは大変楽しくて時が早く過ぎてしまいます。私もアナタもすべきことがあるでしょう。ですから、今後5分くらいだけ、喋りましょう。ずーっと話してたら、お互いにとって不利益ですよ。」
翌日、彼女が隣のお客と喧嘩した。
私は苦笑をこらえるのに必死だった。
2016年1月21日木曜日
点の文と線の文
文の解釈は、読み手次第だ。
「羊飼いはジンギスカンを食う。」という文をためしに作った。
この文を品詞分解してみると、羊飼い/は/ジンギスカン/を/食う。
一単語一単語、読み手によって解釈が異なる。
羊飼いとは、なんだろうか。
ジンギスカンとは、なんだろうか。
食うとは、なんだろうか。
羊飼いとは、幼稚園の劇で羊飼いの役をやった書き手を指し、ジンギスカンとは北海道料理の事であり、食うとは食物をかんでのみ込む事だ。
と、解釈する人は、私の知っている限り独りだけ居る。
彼は、私が劇で羊飼いの役をやった事を知っており、ジンギスカンが北海道料理の事で、食うとは食物をかんでのみ込む事であることを知っており、さらに、私がジンギスカンを食った事を知っている人間だ。
多くの読み手は、こんな些細な特殊事情を知らず、
羊飼いとは、羊を保護し飼育し放牧する労働者であり、ジンギスカンとは北海道料理の事であり、食うとは食物をかんでのみ込む事と解釈するだろう。
ひねくれ者は、「羊飼いはジンギスカンを食う。」を読んでニヤニヤしてしまうだろう。
「あれれ~、羊飼いが羊食ってるー。おっかしぃなぁー。」と。
このように、文ひとつでも、多様に解釈が可能だ。
私は、このような文は点の文と考えている。
読み手に文脈の補完をしてもらう。
そして、その文脈は読み手の心を表している。
線の文とは、逆に読み手に文脈の補完をさせない、または点の文より少ない。
「迷える羊とも呼ばれる常にすがる対象を求める人々は、彼らのすがる対象である羊飼い的役割をする人々の生命を維持するための道具になりえる。カルト教団やブラック企業などが、良い例だ。」
線の文も、さらに大きな線の文脈に埋め込みが可能だ。
プログラミングそっくりだと、私は斯様に考えております。
ドーナツを見るな、ドーナツの穴を観ろ!
ドーナツの穴を見るな、ドーナツを観ろ!
「羊飼いはジンギスカンを食う。」という文をためしに作った。
この文を品詞分解してみると、羊飼い/は/ジンギスカン/を/食う。
一単語一単語、読み手によって解釈が異なる。
羊飼いとは、なんだろうか。
ジンギスカンとは、なんだろうか。
食うとは、なんだろうか。
羊飼いとは、幼稚園の劇で羊飼いの役をやった書き手を指し、ジンギスカンとは北海道料理の事であり、食うとは食物をかんでのみ込む事だ。
と、解釈する人は、私の知っている限り独りだけ居る。
彼は、私が劇で羊飼いの役をやった事を知っており、ジンギスカンが北海道料理の事で、食うとは食物をかんでのみ込む事であることを知っており、さらに、私がジンギスカンを食った事を知っている人間だ。
多くの読み手は、こんな些細な特殊事情を知らず、
羊飼いとは、羊を保護し飼育し放牧する労働者であり、ジンギスカンとは北海道料理の事であり、食うとは食物をかんでのみ込む事と解釈するだろう。
ひねくれ者は、「羊飼いはジンギスカンを食う。」を読んでニヤニヤしてしまうだろう。
「あれれ~、羊飼いが羊食ってるー。おっかしぃなぁー。」と。
このように、文ひとつでも、多様に解釈が可能だ。
私は、このような文は点の文と考えている。
読み手に文脈の補完をしてもらう。
そして、その文脈は読み手の心を表している。
線の文とは、逆に読み手に文脈の補完をさせない、または点の文より少ない。
「迷える羊とも呼ばれる常にすがる対象を求める人々は、彼らのすがる対象である羊飼い的役割をする人々の生命を維持するための道具になりえる。カルト教団やブラック企業などが、良い例だ。」
線の文も、さらに大きな線の文脈に埋め込みが可能だ。
プログラミングそっくりだと、私は斯様に考えております。
ドーナツを見るな、ドーナツの穴を観ろ!
ドーナツの穴を見るな、ドーナツを観ろ!
2016年1月20日水曜日
社会尊厳死
社会尊厳死を研究してる男がおりました。
自死に関する研究は、社会学でも心理学でもなく、哲学になるそうです。
研究を聞いてみると、「社会的な弱者が自ら尊厳死を選ぶことは肯定に値する」、という自殺教唆罪に抵触するような研究です。
この研究の背景には、自死に関して否定的な先入観が社会的に蔓延しているからだ、と男は言います。
自死はいけない事なのでしょうか?
我々人間に自死を選ぶ権利は無いのでしょうか?
菜食主義者の同僚からは、”人でなし”と呼ばれている男は言います。
「自死を選ぶまでに至った過程が大事だ。遺された側はつらいかも知れないが、当事者はもっとつらい。そういう環境に当事者をおいたのも遺された側だ。自死を選ぶ権利はある。」
男は続けて言います。
「遺された側は、当事者の自死を受け容れられずに拒絶する。相互理解が成り立ってない。社会的活動には相互理解は必須だが、社会的弱者には著しく欠けているというデータがある。」
自死を選ぶ人へのケアが重要ではないのか、と尋ねると「ケアを受けるのは死にたくない人間だ。わずかながら生きたいと思っているからこそ、ケアを受ける。少しでも生きたいと思わせることは大事だが、それでも無理なら自死して楽になるのも一つの手段だ。」
死んだら楽になるというデータはあるのか、と尋ねると「無い。だけど、それは俺の研究じゃない。」
なんでも最近、欧米では安楽死の研究が流行っていて、こうでもしないと研究費が出ないと嘆いておりました。
最近の流行にならって、自死肯定論調だそうです。
結論ありきの研究です。
勿論、この男、自死なんてテンで興味がありません。
ただの飯の種として研究しているのです。
自死に関する研究は、社会学でも心理学でもなく、哲学になるそうです。
研究を聞いてみると、「社会的な弱者が自ら尊厳死を選ぶことは肯定に値する」、という自殺教唆罪に抵触するような研究です。
この研究の背景には、自死に関して否定的な先入観が社会的に蔓延しているからだ、と男は言います。
自死はいけない事なのでしょうか?
我々人間に自死を選ぶ権利は無いのでしょうか?
菜食主義者の同僚からは、”人でなし”と呼ばれている男は言います。
「自死を選ぶまでに至った過程が大事だ。遺された側はつらいかも知れないが、当事者はもっとつらい。そういう環境に当事者をおいたのも遺された側だ。自死を選ぶ権利はある。」
男は続けて言います。
「遺された側は、当事者の自死を受け容れられずに拒絶する。相互理解が成り立ってない。社会的活動には相互理解は必須だが、社会的弱者には著しく欠けているというデータがある。」
自死を選ぶ人へのケアが重要ではないのか、と尋ねると「ケアを受けるのは死にたくない人間だ。わずかながら生きたいと思っているからこそ、ケアを受ける。少しでも生きたいと思わせることは大事だが、それでも無理なら自死して楽になるのも一つの手段だ。」
死んだら楽になるというデータはあるのか、と尋ねると「無い。だけど、それは俺の研究じゃない。」
なんでも最近、欧米では安楽死の研究が流行っていて、こうでもしないと研究費が出ないと嘆いておりました。
最近の流行にならって、自死肯定論調だそうです。
結論ありきの研究です。
勿論、この男、自死なんてテンで興味がありません。
ただの飯の種として研究しているのです。
2016年1月19日火曜日
人間の考察
幼子は支配者である保護者から、保護という名目で様々な行動の制約を受け、主体性を発揮する場を奪われる。保護者という支配者に、支配され続けてきた被支配者である幼子は、保護という被支配されることが普通になり、それを求める。この手の幼子が、成長すると、依存的で独占的で攻撃的で感情的。当人の自主性の欠落から発する無責任な態度は、問題解決よりも、問題の攻撃的批難と逃避という行動をもたらす。そして常に縋る対象を求めて彷徨っている。優しい人か詐欺師が支配者として君臨するが、優しい人は攻撃性に傷つき去り、詐欺師はしたたかに食い物にする。
主体性の欠落した人は支配者の駒に最適だ。しかしながら完全に主体性がなくなるわけで はない。ここがミソだ。支配者が命じたわけでもなく、腹は減り眠気がやってくる。異( 例外有り)性を追いかけることは、ことさら支配者の命ではない。欲を満たす強欲モンス ターである人間の主体性を完全に放棄させることはできない。
歴史を観れば、支配者と支配者の争いは自明だが、同じくして支配者と被支配者の争いが あった。しかし、支配者と被支配者の争いはコンピュータの発明と発展により、被支配者 の淘汰という形で幕を閉じるだろう。
歴史を観れば、支配者と支配者の争いは自明だが、同じくして支配者と被支配者の争いが
ここで奇妙な構図に勘の良い読者なら気がつくだろう。「支配者は被支配者がいてこそ、 支配者になる。被支配者が淘汰されるなら、如何にして支配者が支配者なのだろうか。」
被支配者という道具の換わりに、コンピュータを用いるのだから、支配者はコンピュータ の使い手だ。無論、物を用いるのには主体性は必要不可欠ゆえに、被支配者にコンピュー タは使えない。過渡期の現在は、コンピュータに使われる人はいるけれども、彼らもより もコンピュータの方が優れる時代が来ている。主体性の抑圧を常とする被支配者が、お荷 物となるのは時間の問題だろう。勿論、その時まで支配者に保護されるが。
人間の主体性を抑圧しない環境にいる人々と、人間の主体性を抑圧する環境にいる人々と の、支配者同士の争いは繰り広げられている。人間の主体性を抑圧する側は、負け続けて いる。そして、負ける度に、そのあおりを食らうのは被支配者である。
したたかな詐欺師の食い物にされる人々は、子供の頃の教育の影響ではないだろうか。そ れとも先天的なのか。
私にはまだわからない。
被支配者という道具の換わりに、コンピュータを用いるのだから、支配者はコンピュータ
人間の主体性を抑圧しない環境にいる人々と、人間の主体性を抑圧する環境にいる人々と
したたかな詐欺師の食い物にされる人々は、子供の頃の教育の影響ではないだろうか。そ
私にはまだわからない。
2016年1月18日月曜日
want to を be going toに置き換える
i want to eatとi am going to eatは違いますね。
英語は苦手ですか?
i want to eatには、これから食べるかどうかより、ただの欲求でございます。
i am going to eatには、当人の欲求より、行為を表しております。
しかし、im going to eatには、i want to eatを無意識的に含んでいると私は考えております。
im going to eat, but i dont want to.と曰う方も居りますが、私の観察したところによると、その手の方々は"im going to x, but i dont want to"というパターンの繰り返しを好きで行っている傾向がございます。
im going to work, but i dont want to.
よしなさい!
im going to marry, but i dont want to.
よしなさい!
im going to live, but i dont want to.
よしなさい!
よしなさい!
im going to marry, but i dont want to.
よしなさい!
im going to live, but i dont want to.
よしなさい!
ビートきよし氏の「よしなさい!」使い勝手が良いですね。
willじゃ駄目なの?
駄目です。
駄目です。
willとbe going toは、ニュアンスが違います。
willは、予定とか意志段階。
be going toは、予定とか意志達成に向かって動き始めた。
どっちにしろ未来の事だから、未来形なんだけどね。
ケンタのクリスマスCMを見たとしましょう。
i want to eat kfc→
i will eat kfc→
im going to eat kfc→
im eating kfc
ケンタ食いたい→
よし、ケンタ食おう→
ケンタ食いに行くぞ→
ケンタ食ってます。
順番的に、まず欲求が喚起され、欲求が意志を作り、意志に則り行動を始め、行動しちゃう。
be going toに置き換えることで、欲求を現実化していると断言し体感することが肝要だと思います。
i want to be rich.
i will be rich.
i am going to be rich.
im rich.
ive been rich.
i was rich.
i will be rich.
i am going to be rich.
im rich.
ive been rich.
i was rich.
2016年1月17日日曜日
荘子-古代中国の実存主義 福永光司 02
福永光司氏の本と出会ったのは、シアトルの紀伊國屋だった。
荘子・内篇を買った。
私は、本の難しさに舌を巻いた。
鵬鯤の話から始まる内篇。
北の海にでかい魚が居て・・・
なんだこれ?意味が不明すぎる。
諦めずに、かじりつくも、ちんぷんかんぷんで、お手上げ状態だった。
トイレの積み書となった、荘子だった。
ある日すべてをすっ飛ばしてあとがきを読んだ。
それは、福永氏が荘子を大東亜戦争の支那戦線へ携えて持って行ったという話だった。
万葉集・パイドン・死に至る病・荘子を持っていったそうだ。
荘子だけが、戦地での彼を慰めたという。
戦地に駆り出された、大学を卒業したばかりのインテリ。
大きな渦に、抵抗もなく巻き込まれていく運命。
まさに、荘子が痛快に描き出す人間社会の不可思議を、彼は戦地で身を以て体感した。
私は、あとがきを読み終えた後、すぐさま分からない所は飛ばして読み進めた。
胡蝶の夢という、話がある。
ある日寝ていたら、夢の中で蝶になっていた。
ひらひらと、優雅に、自由に飛ぶ蝶。
そこで、目が覚めた。荘子だった。
荘子は考えた、いや、待てよ。蝶が夢見て、荘子になったのか、それとも荘子が夢を見て蝶になっていたのか。
荘子の結論は、どっちでもいいじゃん。
現在をただただ生きる。
力まない。無駄なことはしない。
不思議な、的を射た哲学だ。
西洋の進歩主義を鼻で笑う荘子が思い浮かんだ。
と、同時に退廃的だと鼻で笑う近代人が思い浮かんだ。
荘子-古代中国の実存主義は、荘子の言葉を引用しながら、荘子が生きた時代や出来事を、物語として楽しめる。
福永氏の荘子に対する想いが詰まった良書だ。
本屋には於いてないし、Amazonだったら中身がわからない。
物を大切にする日本人ならではの、神保町古書文化ではないだろうか。
荘子・内篇を買った。
私は、本の難しさに舌を巻いた。
鵬鯤の話から始まる内篇。
北の海にでかい魚が居て・・・
なんだこれ?意味が不明すぎる。
諦めずに、かじりつくも、ちんぷんかんぷんで、お手上げ状態だった。
トイレの積み書となった、荘子だった。
ある日すべてをすっ飛ばしてあとがきを読んだ。
それは、福永氏が荘子を大東亜戦争の支那戦線へ携えて持って行ったという話だった。
万葉集・パイドン・死に至る病・荘子を持っていったそうだ。
荘子だけが、戦地での彼を慰めたという。
戦地に駆り出された、大学を卒業したばかりのインテリ。
大きな渦に、抵抗もなく巻き込まれていく運命。
まさに、荘子が痛快に描き出す人間社会の不可思議を、彼は戦地で身を以て体感した。
私は、あとがきを読み終えた後、すぐさま分からない所は飛ばして読み進めた。
胡蝶の夢という、話がある。
ある日寝ていたら、夢の中で蝶になっていた。
ひらひらと、優雅に、自由に飛ぶ蝶。
そこで、目が覚めた。荘子だった。
荘子は考えた、いや、待てよ。蝶が夢見て、荘子になったのか、それとも荘子が夢を見て蝶になっていたのか。
荘子の結論は、どっちでもいいじゃん。
現在をただただ生きる。
力まない。無駄なことはしない。
不思議な、的を射た哲学だ。
西洋の進歩主義を鼻で笑う荘子が思い浮かんだ。
と、同時に退廃的だと鼻で笑う近代人が思い浮かんだ。
荘子-古代中国の実存主義は、荘子の言葉を引用しながら、荘子が生きた時代や出来事を、物語として楽しめる。
福永氏の荘子に対する想いが詰まった良書だ。
本屋には於いてないし、Amazonだったら中身がわからない。
物を大切にする日本人ならではの、神保町古書文化ではないだろうか。
2016年1月16日土曜日
荘子-古代中国の実存主義 福永光司 01
神保町の古書店をブラブラしていたとき、山本書店さんへと入った。
中華関連の書籍を多く扱う味のある本屋だ。
春秋左伝を探していたが、入ったら最後。
あの本、この本と目移りしてしまう。
神保町の古書店のようなところには、またまだ外国人は来ないもんだなぁ、と思っていたら、中国人の旅行客が数名。
すごいな、中国人、よく知ってる!
ようこそ!
アメリカの古書店で、私は観光客の日本人をみたことが無いぞ!
旅行客が手に取った本を横目で見ると「中国・文化大革命」。
お目が高い!
インターネットでいくら規制しようが、実際に日本で本を買って持って帰ればいい。
他国が如何に自国を見ているか、これを知ることは非常に重要だ。
孫子曰く、敵を知り己を知れば百戦危うからず。
中国を侮るのは非常によろしくない、と私は常々思う。
私は、麻雀と将棋で例えるのだが、よくよく、考えてみて欲しい。
中華人民共和国の外交は、麻雀に似ている。
勝ち・負けの他に、どっちでもない、という結果がある。
上がるのか、下りるのか、振り込むのか。
自分以外に、プレイヤーが三人居て、非常に高度な政治力を必要とするのが麻雀だ。
自分が毎回勝たなくても、良かったりする。
多面的に、複合的なゲームだ。
一方、日本の外交は将棋に似ている。
アメリカと指して、ロシアと指して、中華人民共和国と指して、台湾と指して・・・
常に一面的で、部分的な外交だ。
他国をふんだんに巻き込んで、外交するという事をしない。
そんな爆買い中国人旅行客を見ながら、私は一冊の本を手に取った。
荘子-古代中国の実存主義。
福永光司氏の荘子に関する本だった。
福永光司氏の荘子・内篇は非常に感動する内容だった。
他の漢籍の本と違い、注釈はなく、解説が凄く面白い。
以来、私は彼のファンだ。
荘子-古代中国の実存主義は、荘子の事を想像しながら、荘子の言葉を吟味していく。
完全に、福永氏の妄想なのだが、その妄想が痛快過ぎる。
今回は、第二章から一部を引用して終わろうと思う。
「危ういかな人間!人間とは常に狂乱と破滅の危機を己れ自身の中に包蔵する、この上なく危険な存在ではないか。多くの人間はこの危険の上に安坐して、忘れられた危険を己れの健全さだと信じこんでいる。日常的な生活の姑息さの上にあぐらをかいて、この己れに限ってその危懼はないとうそぶいているのが、大多数の人間の健全さである。」
2016年1月15日金曜日
命売ります 三島由紀夫
神田の古書店街をブラブラ歩いてた。
三省堂で本を探しに探し、一階のレジへの行く途中。エスカレーターから、すぐのところに、三島の顔写真があった。
三省堂で本を探しに探し、一階のレジへの行く途中。エスカレーターから、すぐのところに、三島の顔写真があった。
近ごろの日本は、きな臭い。
しかも、プラスチックが溶けたような、いやに人工的な、妙なものだ。
その一種かと思いながら、棚を見た。
「命売ります」
手に持っていた、澁澤龍彦の本を置いた。
帯の商業的文言を一瞥。
アメリカに長く居たせいか、商業的な文言を見て「またまたー」と突っ込む癖が付いてしまったようだ。
しかし、日本の商業主義は、まだまだ良心的な人々によって支えられていると感じた。
しかも、プラスチックが溶けたような、いやに人工的な、妙なものだ。
その一種かと思いながら、棚を見た。
「命売ります」
手に持っていた、澁澤龍彦の本を置いた。
帯の商業的文言を一瞥。
アメリカに長く居たせいか、商業的な文言を見て「またまたー」と突っ込む癖が付いてしまったようだ。
しかし、日本の商業主義は、まだまだ良心的な人々によって支えられていると感じた。
本作の始まりはこうだ。新聞の活字がみんなゴキブリになったため、ふと自殺を思い立ったエリートサラリーマンの自殺未遂から始まる小説だった。完全なる出オチ。
出オチは、私の大好きなオチだ。
私は気に入ったので、一冊取って、レジへ行った。
出オチは、私の大好きなオチだ。
私は気に入ったので、一冊取って、レジへ行った。
電車の中でイソイソと読んだ。
家に帰ってベッドの中でも読んだ。
家に帰ってベッドの中でも読んだ。
「ライフ・フォア・セイル」
この文字を読んだ時、三島の声が頭の中で響いた。
彼の動画をYoutubeで見たことがある。
彼の知性に富んだ、そして頭から押し出されるようなしゃべり方。
そんな彼の声が、聞こえてくるようだった。
彼の動画をYoutubeで見たことがある。
彼の知性に富んだ、そして頭から押し出されるようなしゃべり方。
そんな彼の声が、聞こえてくるようだった。
私の目が文章を取り込むに従って、彼が読み上げる。
軽快な心持ちで余生を過ごす自殺者が抱く、その軽快な心持ちから生ずる生への執着を、合成された三島の声で私は一人楽しんだ。
軽快な心持ちで余生を過ごす自殺者が抱く、その軽快な心持ちから生ずる生への執着を、合成された三島の声で私は一人楽しんだ。
こんな本の楽しみ方もあるのかと、新たな発見だった。
2016年1月14日木曜日
This War of Mineにはまる
This War of Mineは、ボスニア内戦を題材にしたサバイバルゲーム。
Steamの年始セールで、7ドル弱だったから、買ってしまった。
Steamの年始セールで、7ドル弱だったから、買ってしまった。
プレイヤーは、紛争地域で一般人として生活をする。
廃墟に住みながら、夜な夜な街に必要な資材を集めに駆け回り、スナイパー・餓死・凍傷・病気・鬱などの死の危険から何とかして生き延びるという鬱ゲー。
腹は減るし、暖炉の薪はなくなるとチームメイトは病気になるし、盗みを働けば鬱になるし、強盗の犯行現場に居合わせて強盗殺せば自責の念で自殺するし、なんともまぁ、生をゲームにしちゃったゲーム。
廃墟に住みながら、夜な夜な街に必要な資材を集めに駆け回り、スナイパー・餓死・凍傷・病気・鬱などの死の危険から何とかして生き延びるという鬱ゲー。
腹は減るし、暖炉の薪はなくなるとチームメイトは病気になるし、盗みを働けば鬱になるし、強盗の犯行現場に居合わせて強盗殺せば自責の念で自殺するし、なんともまぁ、生をゲームにしちゃったゲーム。
所々の芸が細かく、作り手の情熱を感じた。
たとえば、政府軍の兵舎に忍び込んで、兵隊の手紙を読む。
その手紙がまた、グロい。
母親に宛てて書いた手紙で、内容は、一般市民の女を捕まえて、木に括り付けて、爆弾を体中にセットして爆破した。頭が僕の方に飛んできた。以来、その光景が脳裏に焼き付いてしまい、辛い。
砲撃された学校の中に残る、両親に宛てた手紙。
缶詰一つのためにどんな変態プレーもするという売春宿の説明文。
登場人物のストーリー。
たとえば、政府軍の兵舎に忍び込んで、兵隊の手紙を読む。
その手紙がまた、グロい。
母親に宛てて書いた手紙で、内容は、一般市民の女を捕まえて、木に括り付けて、爆弾を体中にセットして爆破した。頭が僕の方に飛んできた。以来、その光景が脳裏に焼き付いてしまい、辛い。
砲撃された学校の中に残る、両親に宛てた手紙。
缶詰一つのためにどんな変態プレーもするという売春宿の説明文。
登場人物のストーリー。
生を題材としたスルメゲー。
ボスニアの内戦を元に作られたといわれる、半フィクションのゲームだからか、すごく深い・濃い。
戦争は、どこか遠くで起きる物ではなくて、今居る街で起きるかもしれない。
後方支援とか云う言葉をよくよく吟味してみる事だ。
「徴兵制が再開される!」、そんな事より、目の前に爆弾が落ちてきて、親や子供が吹っ飛ばされるかも知れない、という話題に何故ならないのだろうか。
野坂氏の火垂るの墓をよくよく見ることだ。
腹を空かした妹のための粉ミルクを飲んでしまう、そういう決断をせざるを得ない、極限の状態に陥るかもしれないことが、後方支援という事では無いのだろうか。
2016年1月13日水曜日
データセットの構造変更
C#でデータセットを使う。世の中にはLINQという便利な物があるらしいが、古風にデータセットを使い、馬鹿を見た。
データセットをウィザードで作成するのは、凄く簡単。
だけど、顧客が「あれも入れて」と言い始めると、データベースのスキーマの変更。
スキーマの変更にあわせて、データセットも変更。
hogeDataSet.xsdをVisual Studioで開くと、ダイアグラムが表示される。
該当するテーブルの上で右クリックし、環境設定(Configure)をひらいて、変更する。
これが、くせ者中のくせ者。
VS2013を使っているが、VS2005からのバグが引き継がれているのでご注意あれ。
そのバグとは、ConnectionStringが見つからない、というバグだ。
これは、WebAppを作ってる方、WinFormsやってる方、どちらにもあり得る話だ。
Configureを開く、または、Add, Relationあたりを、いじろうとしても、
The connection string could not be found in application settings, or the data provider associated with the connection string could not be loaded
unable to find connection 'hogeCon' for object settings
アプリケーション自体は動作するが、何が何だか分からないが、読み込めないらしい。
namespace.Properties.Settingsを参照する、そこにConStrはある。
さらに、ソリューションのプロパティーを開いて、確認するも、ちゃんと入っている。
ネットで調べると、よくあるバグだとか。
データセットを入れ直す、という邪道な直し方もあるが、それも面倒だったりする。
他にあるのが、.xsdをノートパッドなどで開き、XMLとして中身をちょっと書き換える。
よくあるバグが、<Connections> </Connections>の間に複数の<Connection>エレメントが入っているだそうだ。
接続先のデータベースが一つなら、二つは要らないので、1個を消す。そうすると直る。
あいにく、私の場合は一つしかない。
もうひとつあるのが、<DataSource DefaultConnectionIndex="0".....> のIndexの値0が1になっている事があるそうだ。
これを、0に戻すと直るそうだ。
ほかにもあるのが、イベントログを消したら直ったという人もいた。
また、セーフモードで起動し、RTBackUpフォルダーの権限をアドミンにすると直ったという人も居た。
どれも駄目だった。
私は困った。
が、幸いにも直せた。
やり方は曖昧だ。突然なおったのだ。
ここで、そのときの手順を説明しよう。
バックアップを取ってから、xsdをいじった。
ノートパッドで<Connections> </Connections>の中の<Connection>を消す。
VSのダイアグラムが、表示されているところで、Configureをクリックしウィザードを開く。
不思議なもので、読み込めない場合はエラーだが、存在しない場合は、ウィザードをご丁寧に開いてくれた。
ウィザードをすすめていく。データベースを選び、接続する呪文をセーブし、取り込むものを決めて、終了をクリック。
すると、エラー!ConnectionStringが見つからないよ!って、おいいいいい。
ウィザードで設定したばっかでしょwwww
なんだこれ、と。
次に、ソリューションのプロパティーから、保存されているConnectionStringを消す。
ノートパッドで<Connections> </Connections>の中の<Connection>を消す。(この作業がしたかは、不明だが、<Connections> </Connections>内に<Connection>がないことは確かだった。)
そう、ここで、私、何を思ったかF5(スタート)を押したんです。
やっちゃったと、思いましたよ。
もちろん、エラーでCall Stackが表示されます。
VSのダイアグラムが、表示されているところで、Configureをクリックしウィザードを開く。
不思議なもので、読み込めない場合はエラーだが、存在しない場合は、ウィザードをご丁寧に開いてくれた。
ウィザードをすすめていく。データベースを選び、接続する呪文をセーブし、取り込むものを決めて、終了をクリック。
何事もなかったように、出来ました・・・・
次に、別のエラーが発生。
hogeDataSetが、フォームで認識されてない。
プログラム自体は動く。が、フォームの編集出来ない。
Solution ExploreでhogeDataSet.xsdを右クリック、Run Custom Tool(日本語のVS使ってないので、ごめんなさい、該当する日本語がわかりません。)
こうすると、再認識してくれて、復活。
開発ツールのバグってなんだかね。
VSは素晴らしいけど、やっぱね。
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2016年1月12日火曜日
Winforms動的テキストボックス
C#のWinformsでのお話。
動的にテキストボックスをフォームに出力するにはどうすれば良いのか、と思案にくれていました。
ある条件では、テキストボックスを1個。ある条件では、3個。はたまた、ある条件では10個などなど、ダイナミックにテキストボックスを表示する方法はないのかと。
HTMLをつかったWebベースだったら簡単にできますが、Winformsの場合、フォームの大きさが決まってるし、下に下に伸ばすにも、下にあるエレメントも動かさないといけないしなぁ。
HTMLだったら、簡単なのに!!
そういう風に思って、困っていました。
あるとき、気がつきました。
データグリッドビューじゃね?と。
Datagridviewだったら、横にスクロールバーついてるし、勝手に可変調節してくれて、Rowごとのデータもアクセスが可能じゃんか!
Datagridviewにデータバウンドせず、カラムの編集をする。
そしてカラムの追加をする。
この時に、カラムの属性を選択する。
ボタン、チェックボックス、コンボボックス、イメージ、リンク、テキストボックス。
例
品目はデータベースから引っぱってきて、数量はユーザーインプットとします。
品目のカラムはコンボボックスにします。数量はテキストボックスにします。
品目は、データベースから引っぱってきて、かつ、入力時にデータベースに書き込むので、品目IDが必要になりますから、コンボボックスにします。
行の追加後に、データソースを指定してあげましょう。
データソースが無い場合は、データセットを入れましょう。このあたりの手順は、コンボボックスのデータベースからのデータソース設定手順と同じです。
DisplayMemberを品目名に、ValueMemberを品目IDにします。
あとは、LoadのFunctionとデータ確認などなど必要な関数を入れていきましょう。
一件落着ですね。
見た目は悪いけど、必要な事項はこれで満たせる!
したいことと、出来ること、よくよく考えて、頭の中で寝かせると、あるとき思いつきますよね。
こういう現象出来る人間でよかった!
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2016年1月11日月曜日
Excelゾンビの殺し方
C#上でExcelを開いたりすると、Excelのプロセスが残る場合がありますね。
メモリを解放、GC等を適切に処理しないと起こる現象です。
なので、プログラムからExcelを使う場合、Excelファイルに書き込んで保存するのが一般的な方法です。
しかし、ファイルに保存するのが嫌だ、ファイル名与えたりするのも面倒くさい。
そのまま、Excelのウィンドウを開いて、表示したいという方もいるはず。
しかし、そういう構造でプログラムを組む場合、該当のExcelプロセスの管理をプログラム側がする必要があります。
Excelのウィンドウを開いたまま、プログラムを閉じた場合、管理外になってしまうしぁ。
開いたら開きっぱなし、という構造にすると、Excelのプロセスが残って、Excelゾンビってのになってしまう。
寝る前に思いついた邪道な方法を公開します。
ムチャクチャですよ。
プログラミング的に正しいのか、わかりませんが。
効果はあります。
プロセスの中のExcelでウィンドウのタイトルが無いのが、ゾンビです。
だったら、そのプロセスをKillしてしまえば良いじゃん。
foreach (System.Diagnostics.Process clsProcess in System.Diagnostics.Process.GetProcesses())//すべてのプロセスを一個ずつ見て
{
if (clsProcess.ProcessName.Equals("EXCEL"))//プロセスの名前がExcelの物がある場合、
{
if (clsProcess.MainWindowTitle == "")//該当プロセスのメインウィンドウのタイトルが無い場合
{
clsProcess.Kill();//該当プロセスを終了してください。
}
}
}
どうでしょう。
これで、Excelゾンビプロセスは終了が出来ます。
ネットで調べたけど、この方法を紹介してる人は居ませんでしたね。
邪道ですね。こんなの思いつくの、最低のプログラマーだけですね。ふふふ。
副作用はあると思うので、用法はよく考えて使って下さい。
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2016年1月10日日曜日
OpenVPNセットアップ
Amazon AWSにOpenVPNサーバー設置方法を紹介。
新しいインスタンスを作成します。
インスタンスに使用するイメージを設定します。
今回は、Open VPN Image from Community AMIsを使います。
OpenVPN Access Server 2.0.20を選びます。新しいバージョンがあったら、そっちでも問題ないと思います。
このイメージを使用することによって、VPNのインストール等の煩雑な手順をスキップ出来ます。
また、同様にAWSのセキュリティーの設定をして開けるべきポートを設定しましょう。
TCP:22,443,943
UDP:1194
を最初の設定の時に開けておきます。
TCP22は、SSHのためのポートです。サーバーにアクセスする時に開けてあげるのがセキュリティー上良いでしょう。
TCP443は、HTTPSのためのポートです。OpenVPNの管理者ページは、このポートを使います。また、Client Web Serverにも使われます。
TCP943は、管理者ページの接続ポートです。デフォルトの設定では、管理者ページは443も使ってます。
UDP1194は、クライアントがUDPベースの接続をするときに使うポートです。
インストールが終わって、インスタンスが立ち上がったら、インスタンスのIPアドレスをウェブブラウザに入力し接続します。
未承認のHTTPSに接続するため、ブラウザが嫌がりますが、無視しましょう。
利用する毎にインスタンスを起動する場合は、IPアドレスが変わります。
その場合は、Web管理者画面でサーバー名/IPアドレスを変更する必要があります。
OpenVPN serverを無料で使用する場合は、クライアントは二個までとなっております。
同時接続クライアント数を増やす場合は、ライセンスを購入してください。
初期のユーザー名はopenvpnasになります。
そのままだと危険なので、変更しましょう。
英語のマニュアルはこちらになります。
初期設定が終わったら、Web上のページからクライアント用のConfigをダウンロードして接続します。
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